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  • 未生流東重甫

「華道玄解」荒木白鳳著 閲覧15

「華道玄解」荒木白鳳著 閲覧15

2021年5月のコラム


何をしていても、過ぎゆく日をどのように感じても、日々は過ぎていきます。なかなか待ってくれないなぁ、とこんな思いでもう新緑の5月を迎えました。そしてやはり植物は「上手く自分を生きているなぁ」と感じてしまいます。

自分が自分らしく生きることは難しいもののようです。別に急ぐ訳ではありませんが、まだまだ自分らしさを追っかけ、ひた走るしかないのでしょうか。

あまり自分に問いかけることなく、長い年月を過ごしていますが、この玄解を読み進んでいくと、自分を見つめ直すきっかけをくれるように思えてきます。私自身、いけばなに携わる人間として、技術向上の努力は惜しまなかったと自負していますが、大事な事を置き忘れ今になって脚下照顧(きゃっかしょうこ:自分の足元を見つめ直すこと)とはいかなかったことに気がついたような気がします。


さて、今月は「華道玄解」『挿花原一施轉の法式』(正しくは旋轉ではないかと考えています)を読み進めていきたいと思います。

初傳の花型は、草木を以つて、天地自然の理を示す法則に依て其の型を定め、是れに倚て三才和合の理を教ふ。故に花の姿にも三才の格を備ふ。而して一定の法寸を守る。されば草木に具備する質性を論ずる事なし。故に草木の徳を活して其質を曲るものなり。其質性を損すと雖も是れに依て人動を利する徳の廣大なるが故に、草木を損する者に非ず。

中傳の花形は、草木を以て陰陽両氣順應の理を示す爲に、性情相ひ應ずる体用相應の形地を調へ、是れに依って、人類の分度を知らしむる者なり。故に或は草木の質を活かし、又法則を主とする事あり。或は草木の質を損ずる事あり。また法を主とせざる事あり故に花姿機に應じて或は三才の格を守る事あり。五行の格を備ふることあり。寸尺も法を主とする事あり。法を用ひざる事あり。變化究り無し。総て活用を主とす。

今此原一旋轉の法華は、彼の佛教に謂う草木國土悉有佛性の理に基き草木の精を直ちに、神と崇め。佛を仰ぎ。師と尊ぶが故に、其精靈を尊重する事を主とす。花の姿は、草木の質の宜き風情を選み、唯其体を清め少しも人意を加へずして、或は床に置き其家の守護神とし、又は一枝一花の清淨なる草木を己が室に挿し。此の美精を感受し其れに依て己の精神を洗ひ潔め、草木の徳を感受して悟道の師とす。故に此の奥傳の花姿は自然のまゝを用ふる事なり。唯挿すに際して、枯れてる枝葉を除き、主たる花や枝の害になる小枝、又は葉を去りて扱ふ者とす。此花には一定の人法を混ずべからず。草木原一の美徳と。旋轉不可思議の妙徳を尊む者也。


昭和中期に書された、原一旋轉(げんいちせんてん)の参考書『和合の華 下巻』で松本信甫氏は次のように述べています。


(前略)

「陰陽三才五行の理もよく辨へて華道の眞理、眞實、實體に觸れ、未生自然と云う。

言ふにいはれぬ、説くにとかれぬ、妙々なる「コツ」消息、宇宙の眞性、道義と云ったものを、つかむべきであり、自覺、他覺、悟り得て元へ歸り休止、停留しでも亦駄目、一生休まずに歩き續けるのが藝術であり學問であり、人世であり、未生道だと云ふのが本書の主眼である。」



 原一旋轉は、単に書されている文面の意味を解することで理解したと言い切れない、千思万考して体得できるものでもないものです。特に松本氏のいうところの「休まずに歩き続ける」というのが難しい気がします。


最後に、次回に説明します「華道玄解」『華道十戒の教義』の十戒をご紹介しておきます。


十戒

不(ず)レ 爲(なさ)二 過(くわ) 度(ど)ノ 飲(いん) 食(しょく)ヲ一   

不(ず)レ 食(くらは)二 未(いま)ダレ 熟(じうく)セ 果(くわ) 菜(さい)ヲ一

不(ず)レ 挿(ささ)二 未(いま)ダレ 至(いたら)レ 期(き)ノ 草 木ヲ一

不(ず)レ 爲(せ)レ 傷(しょ)二 害(がい) 無(む) 益(えき)ノ 生(せい) 物(ぶつ)ヲ一

不(ず)レ 用(もちひ)二 無(む) 益(えき)ノ 火(くわ) 水(すい) 土(ど)ヲ一

不(ず)レ 爲(なさ)二 幼(よう) 兒(じ)ノ 過(くわ) 裝(そう)ヲ一

不(ず)レ 軽(かるしか)二 老(ろう) 幼(よう) 卑(ひ) 賤(せん)ヲ一

不(ず)レ 恨(うらま)二 師(し) 親(しん) 之(の) 戒(かい) 言(げん)ヲ一

不(ず)レ 恨(うらま)二 自(し) 然(ぜん) 之(の) 時(じ) 戒(かい)ヲ一

不(ず)レ 嫉(ねたま)二 親(しん) 友(ゆう) 他(た) 衆(しゅう)ノ 功(こう)ヲ一



直訳して見ると、華道の教えにおいて、わざわざ原一旋轉で説明することでもないようにも思えますが、自身を振り返れば納得がいきます。

このような自分への戒めは時々必要なものかも知れません。


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