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  • 未生流東重甫

「華道玄解」 荒木白鳳著  閲覧8

更新日:2020年11月11日

「華道玄解」 荒木白鳳著  閲覧8 2020年9月のコラム

8月のコラムまでは「三才の巻研究資料」を読み進んでまいりましたが、9月からは華道玄解の「體用相應の巻研究資料」へと読み進めていきます。

未生流では、初伝「三才の巻」、中伝「体用相応の巻」、奥伝「原一旋転の巻」と段階的に伝書の学習を進めていきます。考え方にも段階があり、一般的に使われている言葉に「守離破(しゅりは)」「守破離(しゅはり)」がありますが、いけばなでは「守離破」を用いることが多いようです。守とは三才、つまり肉眼の意味で、 花矩(はなかね)の基本です。離とは體用(たいよう)、つまり性情(せいじょう)、植物本来の美、そして破とは一花一葉、つまり形を超えて物の根元に考えが及んでいます。

初伝では未生流の挿花全体の基本的考え方を学びます。花姿では「天地和合を取り、縦横勾弦に挿けなす所以は・・・」と伝書の序説にありますので、花材をその花矩に則り決められた形にいけます。

中伝では、花材自らの持つ美を活かして、挿花というものを材料に即して形成します。なお、「故に材料により一々姿は変る。故に姿の変化自由なるべし。」と「和合の華」(松本信甫著)の序説に説明されています。花は性情の花を挿ける。性情とは體用を意味します。性とは體(たい)、情とは用のことです。體とは、万物の元であるから本體で性のことです。言行に何の働きも現れぬ姿で、不生、不死、不動、静かな水や空気の如き、無念無想の状態、萬古不易の姿。また、用とは、此體の動き出したもので情のことです。不絶變化運轉(ふぜつへんかうんてん)して静止することなき瀧や河水の如き流れ、流転の姿のことです。體用相應の巻に「虚実の論」が説かれていますが、この中で「虚実文質彬々たる処これ万物一切の法なり。・・・」。という一文があります。これは、論語からの以下の引用です。

質勝ㇾ文則野  文勝ㇾ質則史  然後君子

本能が知識に勝るならばそれは野蛮人である。=粗野、野蛮

知識が本能に勝るのであれば見栄っ張りな嫌味な人間になる。=華美虚飾

知識と本能が相交じって上手く調和して始めて君子と言える。

(以上、和合の華より)

三才の巻で学んだ大意に、一段進んだ性情の意を「華道玄解」を読み進んでいるうちに少しでも感じて頂ければと思います。

《 「體用相應の巻研究資料」 》 原文より

夫れ体とは天を謂う復た地を云う。用とは地を謂ひ復た天を言ふ相應とは兩気の循環を云う、陰の体は陽の中に生ず陽の体は陰の中に生ず、故に陰の性は陽。其の質は陰。陽の性は陰。其の質は陽。兩気相應する所以也。叉曰く体とは五行を謂ひ。用とは万物を云ひ相應とは万物の生化を言ふ。叉曰く体とは性を謂ひ。用とは質を謂ひ。相應とは情を云ふ。又云う体とは天地を謂ひ。用とは人を云ひ。相應とは交易を云ふ。叉曰体とは人を指し。用とは行を挿し相應とは時を指す。叉曰体とは万物を指し。用とは其効用を指し、相應とは其の配所を云う。天地の間に一物を生ず。其体必ず用定まる。其用當を得ば天下を益す。其用當を得ざれば天下を害す。故に兩気の運行乱るる時は。※七政、宿。斗に異動を生じ地變起りて万物生化の序を乱す。人類節を誤れば、天地感應して氣運常ならず、故に天變地夭頻りに起り。万物の生化常ならず。故に人類も亦安居爲す事を得ず。人天地の教に随順して正しく。體用相應の節を護持すれば天地の行動に異變なく、氣は順に廻りて万物の化育を補く、故に常に生化し人安居する事を得。

是天地、人類、万物、倶に氣の相通ずる所以なり。

※七政とは、後に来る「宿」「斗」が二八宿と北斗七星ではないかと思われる処から、七星(しちしょう)の意味ではないかと思う。常に巡行して止まない星の変動と捉えると解り易い。(私訳)

七星とは、中国の星学で、食狼星、巨門星、禄存星、文曲星、廉貞星、武曲星、破軍星の総称。

《 三才体用相應の義 》

『天地。に人を生ずる所以は。必ず重用あるが故なり。人此重用を爲すが故にこの生命を受持す。

然るに人多くは父母に依って自生し生命を保つ事は自存の爲めなりと思惟するが故に。其の要用を誤る若し父母の力に依って、生ずるならば、其存在亦父母の自由たるべし識力才能また自由たるべし。

然るに識力才能父母の統を受けず。命数の長短常に定まらず。是れ即人の自生を爲さざる證なり。天地間には無用の物体は一物も存留せず。一草一塵皆倶に有用なり。天下に有用なるが故に數種の人を生じ。是を存留す。人の性多感なるが故に常に分別を能く誤る。自存を樂ネガふが故に。顚倒迷盲して要用を誤り。自存を主とするが故に。他を害し國を乱し。遂には人道を誤り自ら貴重なる生涯を無意識に終わる事あり。

人は則天地の用なり。天地の命を受くる使なり。本來人は天地の氣を等分に享け。其性多感にして天地の情に。通徹する質あり。故に人自我の妄想を起こさざれば。敢て多く學ばずとも、天地の事情を悉く感得す。故に聖人敢て他學にあらず。而も通力自在にして万物の質を知悉して。之れを案排布置す。故に天地と徳を合わせて位を一にす。三才は倶に同一なり。三才の才の字を分解すれば(一は地弌は人ノは天)天氣降りて。地氣は昇り。人氣は通ず、三氣互に交合して(才)字成る。(三は氣の靜なり。才は氣の動なり)故に三才は同位体用相應の象なり。

客同位にして一ッの体を爲す是体用相應の象なり。』

人はよく自身で生きていると錯覚します。親に対して、周りの人間に対して求めるといった意識もなく常に何かを他人に求めます。それを甘えというには少し寂しい気もします。人間はもっと強く創られているのではないかと思います。

近頃よく「私は何を残せるのか?」と思うことがあります。これは自身の生き様に満足していないからなのでしょう。

自我の妄想を起こさず、「今更過去を振り返っても仕方がない、今から残された時間を如何に生きるかであろう。」と都合の良いとらえ方が出来るのも、強く生きる人間の姿ではないでしょうか。

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