top of page
  • 未生流東重甫

「華道玄解」 荒木白鳳著  閲覧32

「華道玄解」 荒木白鳳著  閲覧32 2022年12月のコラム

気がつけば12月、2022年も終わりに近づいてきました。

師が東西に忙しく走り回ることから師走とはよく言ったもので(諸説あります)、月半ばともなると気持ち的にも世の中的にも気忙しくなってきます。そんな慌ただしい月ではありますが、今月も華道玄解のコラムです。

先月は先々月に続き、『妙空紫雲の卷參考資料』の『妙空紫雲』を読み進めましたが、今月も続きを読み進めたいと思います。


“自然の妙法は・如是顚倒ある事なし。善惡の所作に賞罰正しく行ふ。例へば若し善惡の所作未だ他に露れざる時に。己れ自ら此の所作を知るが故に。若し惡を行ふ者自然の妙法に罰責せられて自ら苦しむ。己れを知る者己れより能く知る者はなし。故の若し自ら己れの作る善悪の諸行を己れに感知せざる人等は。其外相に人身の容姿を受と雖も内の心は是れに伴はず。未だ禽獣の境界に住する人なり。世人外相の色に貧着して常に眞理を謬る。聖賢の人是の理を感得するが故にを常に寂静淨潔を守りて善行を主とす。神佛は衆生を憐憫するが故に時機に應じて、化像して人を齊度す、聖賢亦感受して慈を以つて衆生を渡せん爲に方便を以て教示す。或は経典を顯はし、亦は藝術を以てし、或は耕作の道を示し、亦は工匠の道を教へ。其道種限りある事なし。然りと雖も皆俱に己れの爲せず。衆の爲に慈を施すのみ。衆とは。現世界に生を禀る生物全体を指す。四生はもとより。有情非情有形非形の生物皆悉く衆生と謂ふ。妙空自然不可思議の妙力。紫雲の妙体成って示現するは是れ何の瑞祥なるか。則道に依て正法の行はるる。現象なり。若し其の正法未生なる時は瑞祥運續して斷せず。若し其正法既に生ずる時は瑞祥漸々散ず。空中に黒雲暴風の起るは。其地に天災の來る前兆なり。若し此の天災未生なる時は惡兆連續して散せず。天災既に生ずる時は黒雲暴風次第に散ず。此夜災の起因は。衆生の惡業より來る。地上に邪法の流行する時は。天災しきりに起る。此の善惡の兩方ともに未生にして斷絶せざれば次第の增長ス。而して此の妙空不可思議の示現は。本來救世の神告なれば。豈に空中に現するのみに止らず。宇宙の萬象に悉く示現す。殊に人類は心作の業力種々なるが故に。善惡の現象甚だしく露見す。兩相の種別限り有る事なし、人中にも紫雲の妙食の露るる人あり、黒雲暴風の如き露るる人もあり、白雲青雲の如き中道の色像露るる人ありて、此相亦雲相の變易するが如くにして。定相ある事なし。人中紫雲の妙相とは福徳円満慈悲心の人を謂ふ。白雲とは正道によりて身を立つる人を謂ふ。青とは正道を守り自然の理の逆らわず、慢心なく和合心の備はる人を謂ふ。黒雲とは強慢にして和合心なく自我の勢力に依りて他の弱き者を壓倒する人を謂ふ。暴風とは貧賤にして智なく、嫉妬心深く自ら善惡の識別なくして。他人の功を妬み、群衆の力を以つて世を乱す類の人を謂ふ、如是、異相は人類の常相に非ず、心作の妙力が自然に化相を作すに止まる、而して各種の外相皆本來己れに作る者なる故に、若し善惡の作業俱に未生なる時は、外相は連續す、若し既に心作業生じたる時は、外相漸く變易す。亦心の作業途中に絶斷する時は、外相俱に斷絶す、故に善惡の心作未生にして。連續する間は次第に增長す。故に外相の種別は、上は皇帝より下は畸形の非人に至るまで差別あり。而して上位は一人に止まり。下位は其數多くして限り難し。是れ人類心相の迷盲なる事を顕わす證也。而して紫雲の瑞相は凡眼の診る事難きが如く。人類の紫雲相を、亦凡人の及ぶ處に非ず。白雲青雲は亦円満和合の瑞相なり、人類の白雲青雲亦如是して、斯界平和の維持そうなり。

華道は即ち妙空紫雲の妙法に依て人倫の道を教へ此中道を守らしむ。華とは萬法の中道なり。中道は則人倫の正道。此の正道は世界平和の基礎なり。平和の基は中道を守るにあり。中道は是世界平和の未生。未生なるが故に斯界は永遠に不滅なり。若し中道行はれざる時は。此世界未生の時の非ず。未生は現在を謂ふ。既生は斷滅の起因となる。萬物の生氣未生の時は次第の增長す。既に生ずれば次第の衰滅に向ふ。故に華道は未生の善法を守る道也“


読み進めながら、自分への戒めや思い当たる節がありと中々意味深い文章でした。折あれば、細やかな解釈をしてみたく思うところです。「華道玄解」を通して、今まで多くの事を学んで参りましたが、一度読んで理解できる代物ではないことは言うまでもありませんが、この機会を大切にしたい思いです。


来月は2023年正月です。癸卯(みずのとう)の年です。癸は水の中の兄弟の弟であって、陰になります。これは水を陰陽に大別すると、海や川のように自然の流れを持つ水を陽とし、器に汲み置いた水を陰とするところからきます。未生流では、いけばなの姿の中に陰陽を取りますが、水にも陰陽を分けることが多くあります。

おおよそ全てのものが陰陽に分配されている中で水の役割を考える年でもあります。自然の流れとは言い切れない世界の水害もまた、我々人間社会が生み出した産物でもある様です。

新年を迎え、また未知の世界に踏み入れる思いで一年を晴れやかに迎えたいものです。

世阿弥の『花鏡の奥伝』にもありますが、


「初心忘るべからず 時々の初心忘るべからず 老後の初心忘るべからず」

です。

今まで経験したことも、今までにやったからとか読んだからと疎かにすることを戒めています。一度経験したことを二度目に経験する時は、決して一度目の経験と同じではありません。

我々はほんの少しではあるが日々進歩していて、昨日の私は過去の私であって、今の私と同じではないはずです。当然ながら、ものの受け取り方も進歩とまではいかなくても変化していることと思います。


今年一年お付き合い頂きありがとうございました。「華道玄解」を通して共に学ぶことを大変嬉しく、有り難く思う次第です。来年も引き続き「華道玄解」を読み進めます。

何事にも流されることなく「自分を生きる」をモットウに、着実に一歩を踏み出し、未知の世界を楽しみましょう。

最新記事

すべて表示

「華道玄解」荒木白鳳著 閲覧37

2023年6月のコラム「華道玄解」荒木白鳳著 閲覧37 初夏の草木が、思い思いに陽差しを楽しんでいる様な景色が、私の心を和ませてくれます。春を待ちきれず花を咲かせる椿、初春に静かに咲く梅、春の暖かさにつれ満開の花を咲かせる万作や山茱萸、そして何より古代から親しまれてきた美しさの代表の様な桜と、美しく咲く花は沢山ありますが、山の木々がこれほど楽しそうに見えるのは1年を通してこの時期が一番ではないでし

「華道玄解」荒木白鳳著 閲覧36

「華道玄解」荒木白鳳著 閲覧36 2023年5月のコラム 今年の春は色んな物が賑わいを増してくれました。毎年桜は特に賑わいを感じます。人恋しい訳でもないでしょうが、人が集まると我を忘れてしまいます。これは若さということにしておきましょう。しかし、万葉集には詠まれていませんが古くは田の神の御座所とされていた桜の満開は日本の美意識を培ってきた一面もあります。上から眺める桜の景色は心躍る景色であったの

bottom of page