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  • 未生流東重甫

2020年5月  今月のコラム「華道玄解」 荒木白鳳著  閲覧4


「華道玄解」の「序説」、「三葉一花の傳」と読み進んでみると、今更ながら「いけばな」の意味を感じ取ることの大切さを思い知らされます。

伝書の活用方法として、多くの方達は何か疑問がある場合に、その疑問に関連した伝書のページを開く程度ではないでしょうか。流派の中には伝書の無い流派もあると聞いていますが、もったいないと思います。ぜひ伝書を活用して頂きたいです。

以下に述べている未生流の6種の伝書はそれぞれ大切な意味を持っています。この意味を知るためにはまず伝書の序説を読み進める事が望まれます。ただし、「草木養いの巻」と「規矩の巻」には序説はありません。また、「妙空紫雲の巻」はいけばなを深く学ばれる場合は是非読んでください。

未生流の基本である「伝書三才の巻」「体用相応の巻」「原一旋転の巻」の序説を読み進んでいると、いけばなが人倫の道を教示していることを深く感じます。

花を挿けるための禁忌や花矩は「三才の巻」、花の種別やいけ方を「体用相応之巻」百箇条伝として細やかに説明しています。そして先月触れてみました「原一旋転」の持つ意味をそれぞれの伝書から感じて頂けたらと思います。「三才の巻」ではいけばなは花を挿ける事だけではなく、挿ける「意」が大切と説かれています。

今月は、「華道玄解」に、そんな挿花の意味として説明されているところを読み進めたいと思います。

「挿花五通の區別(くべつ)」

一  曰く 教花

一  曰く 供花

一  曰く 饗花

一  曰く 楽花

一  曰く 愛花

<教花(きょうか)>

教花とはをしへの花といふ、先ず草木の性質は、扨ておき、流規に従って、草木を以って、人倫の道を教示為すを以て本意とす。故に草木と、天地自然の理と異ならざる事をよく示し、万物和合の道を知らしめん事を目的とす、ゆえに花格は三才五行の格花なり、教花は法を守ることを主とし、花の出生は論ぜず。


<供花(くげ)>

供花とは、神佛に供献する花の意なり、都て新佛に献ずる供物は、清浄なるを撰ばずんばあるべからず、先づ第一に、水火香花果の類を先きとす。此中、水火香の三種は無形の物なり、花果の二種は、有形のものなり、而して果實には人に食慾の念を起さしむる憂ひあり、花は美麗なりと離念慮を留むる事薄し、故に有形の供物としては、花を以て第一とす、花は是れ万物の精靈にして、非常無心の生物也其躰有形なりと雖も、無形無色の神靈に異らずして、神佛と、其徳を一つにす。火光の縁に依て起り、縁つきて消へ、水泡の此処に浮み、彼處に消るは、花の時来たりては咲き。時去りては散る事皆是世の循環表情に一つなり。水性の物を生じ、火性の物を滅し。土性の物を留むる事も、其働きは異ると雖も其徳の歸するところは、俱に異る事ななし。唯だ目前の働きが異なるのみ。偖て供花は餘り人巧を加へざる自然の姿をと尊む、然れども、供する草木に、自然の良き姿の品なき節には、法規により眞の型の花を挿すべし、法規は人の定むるものなれ共、天地自然の理に随って、作るものなれば自然の物と、其徳を一にす、供花は草木の性質を尊み、規則をあまり深く論ぜず。


<饗花(きょうか)>

饗花は、来賓饗應の花とす。されば禮儀を重んずる事を専一とす。花型は流規と自然とを兼備したるを良しとす自然は是れ華なり、流規は是れ大なり、道は是則ち禮なり。、饗花を挿さむと欲せば、先ず第一。己が心を花として、禮儀を正しく守るべし、花は格花又は、飾り花にても時の都合にて随意たるべし、禮儀正しき格花を饗すとも、客の意に背く時は、其功なし、譬へば来賓にして、格花を好まざるか、或は、心得ざる人に對して、如何程良き格花を饗すとも、反って恥しめたる如く不快の念を起さしむ、又格花を好む客の節に、珍らしき多くの花をあつめ飾り花を饗すとも、其客に興味薄く、反って客を軽視いたるが如く感ず、都而饗花は、客に對して挿すものなれば、客の心意に、應ずべき心得肝要にして、必ず我意の働きは無用たるべし。花の種類は、珍花なりとも、季節に後れたる品は悪しく、季節より早き花を選むべし。


<樂花(らくか)>

樂花とは、花を友として樂み、または友人を集め、花會など催し、一日をたのしむ時の花なり、樂花には、名木、名草、または鉢植の草木或は一度伐りとれば、再び發芽せざる草木の類は、挿すこと無用たるべし、雑草雑木を以って麗しく挿すべき事本意なり、故に花形には、如何程曲ありても苦しからず。供花饗花に用ひがたき品、また毒ある草木にても、直接人に害とならざる品は挿して苦しからず。また餘り大なる草木も、遠慮して可なり、樂花の主意は草木の花を、己が友とし、花の清浄なる精神と、己が精神と、同化して兎角、花と我との同一躰なる意を知覚するにあり、みだりに不必要の草木を伐り採る事無用たるべし。


<愛花(あいか)>

愛花とは慈愛の意なれば、人跡まれなる、山谷に生じ、其儘朽ち果る花か、または野路の傍に生じ、禽獣の食となり果る類、又は風雨の害に折損じ、丈短くして、挿花の用をなさざる草木の類、都て廢物を以て麗く活用なすことを要とす、故に草木の品位の區別、色彩の區別、花体の如何は、餘り正格に備へ難し、然れ共、花器の助による時は、正格に挿けらるる事あり、譬へば二重切、三重切、三巻筒、五巻筒等に挿時は寸短かき三五寸の花も、大なる用をずる辨ものなり、又大いなる平鉢、平籠の類に澤山あつめ挿す時は、洋室卓上の装飾として、至極見事なり、又花輪花蔓となして用ふ、都て命数の短き花を暫の命を保たしむル事を本意とす。當流飾り花は是の故に起る、愛花は廢物を活用なすものなれば、珍花は餘り多く挿す事無用たるべし。

花が咲いているのを庭で見て、仏様にお供えする、美しく咲いているからここでは可哀そうとよく目につく場に置く、単純に珍しい花だからいけてみる、草木だからできることで「可哀そう」という気持ちがいけばなに通じることです。

草木は水養い(みずやしない:植物は水で活かすことができること)が可能だからできることです。しかし、食卓や居間に花を飾る時にも花への気持ちが肝心です。

忙しい日常に追われていると花を愛でるゆっくりとした時間が持てることもなかなかありません。まだまだ花咲く時節です。自然の木々も美しく装う5月、山笑う季節を迎え心が和む気がします。

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