2018年 10月のコラム <陰陽五行7>
今年の始めから陰陽五行についてコラムを書き進めてきましたが、なかなか生活に結び付けることは難しいです。そこで今月はみなさんにとってなじみの深いの干支(えと)についてご説明しましょう。
一般的に干支といえば、子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥の十二支が思い浮かびます。「干支は?」と聞かれて「卯(うさぎ)です」「酉(とり)です」とか答えている方も多いでしょう。「甲子(キノエのネ)」や「丙午(ヒノエウマ)」等、丁寧に答える人は少ない、というよりむしろほとんどいないのが現状です。
実は、十二支にも陰陽があります。そして、五行の陰陽といっても過言でない「甲乙丙丁戊己庚辛壬癸」の十干(じゅっかん)の「干」と十二支(じゅうにし)の「支」が組み合わされることで初めて干支となります。そして、十干十二支を組み合わせると120種あるのですが、60種の干支が一回りする時期、つまり60年が過ぎると還暦になります。例えば、1年目「甲子」2年目「乙丑」三年目「丙寅」と続き次の甲は11年目「甲戌」、次が21年目「甲申」「甲午」「甲辰」「甲寅」そして61年目に「甲子」の歳になります。つまり「甲丑」「甲卯」「甲巳」「甲未」「甲酉」「甲亥」はありません。偶数の十干と十二支では最小公倍数が60になり、半分は合わないのですが、解っているようでつい気づかないものです。
また、干支は暦を始めとして、時間や方位にもあてられます。干支の起源は中国殷代(紀元前1600年~1028年頃)と考えられており、日本に伝来したのは、欽明天皇15年(554年)とされていますが、それ以前ともいわれ定かではありません。
ところで聞きなれない「十干」ですが、下表にそれぞれの意味をまとめました。
甲(きのえ)を木の兄とし「陽」とします。乙(きのと)を木の弟とし「陰」とします。同様に、十干は“○○のえ”を兄とし「陽」とし、“○○のと”を弟とし「陰」とします。
次に十二支ですが、これが十二獣で現された理由は定かではありません。清代(紀元前221年~201年)には動物が配当されていたようです。なお、後漢(西暦23年~219年)の王充が著した「論衡」物勢篇には十二支を動物名で説明しています。五行説に十二支が配当すると下表のとおりです。
時間や方位の中で現在も使われているのが正午(しょうご)です。正午とは1日を前後に分けめであり、夜中の子の刻(0時)から正午(お昼の12時)までを「午前」、正午から夜中の子の刻までを「午後」と言います。つまり、十二支で時刻配分したときに「午」が丁度半分でその前後を意味します。子(ね)の刻とは夜の11時から夜中1時で2時間あります。その中心が午前と午後の分かれ目になります。
時計のように円を描き、一番上を0時(子の刻)、1時(丑の刻)、2時(虎の刻)と当てはめていくと一番下6時(午の刻)となり、そこから時間を示す基準となる子午線の言葉が出来ます。
日本の子午線は兵庫県明石から京都府丹後を南北に結ぶ線が東経135度でイギリスグリニック天文台から9時間(夏時間の場合は8時間)の時差があります。
このように十二支は時間や方位に今も密接な関係があり、恵方や鬼門等、今も気にすることが多いようです。鬼がなぜ牛のように角が生えて虎のパンツをはいているのか等、興味深い話もあります。
いよいよ来月はいけばなと陰陽五行について説明します。