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  • 未生流東重甫

五節句


五節句の「節」は、季節の挨拶などに使われる24節気の「節」とは別のものですので、まずは簡単に24節気についてご説明しましょう。 24節気は、太陰暦による季節のずれを正し、季節を春夏秋冬の4等区分にするために考案された区分手法の1つで、1年を12の「中気」と12の「節気」に分類し、それらに季節を表す名前がつけられています。24節気は、旧暦では冬至を1年の計算の起点にしていましたが、新暦では起点を春分におき、再び春分点に達するまでを1年とした上で24分割にしています。 それぞれ季節の初めの日をいいます。春は立春から、夏は立夏といったように四季が始まります。

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それぞれの季節のはじめとして、立春は2月4日、立夏は5月5日頃、立秋は8月8日頃、立冬は11月8日頃となります。 二至二分とは、春分・夏至・秋分・冬至をいい、四立とは立春・立夏・立秋・立冬をさします。 また、他にあまり重視されてはいませんが72候がありますが、話が尽きることがないこともありここでは割愛します。 次に、主題の五節句についてご説明します。 五節句とは、江戸時代には年に5日が公式に法制化された式日(現在の祝日)で、五節供と書きましたが、いつの頃からか祝日として五節句になりました。 その5日とは、人日(じんじつ・1月7日)・上巳(じょうみ・3月最初の巳の日)・端午(たんご・5月最初の午の日)・七夕(たなばた・7月7日)・重陽(ちょうよう・9月9日)であり、未生流でいうところの五節句とは少し違います。 未生流の基礎となる陰陽説から、奇数は陽、偶数は陰とし、この陽の同じ数字が重なる事で陰陽の釣合いが取れず、そこに悪魔がはびこる日と考えられました。逆に、月と日を陰陽とし、その月と日が陽の数で重なるとしてめでたいと考えられています。 したがって、1月は元旦、3月は3日(巳を「み」として3)、5月は5日(午を「ご」として5)となり、これに七夕と重陽の日を加えた5日を未詳流では五節句としています。

1年の最初の節句である人日の1月7日は、一般的は七草粥を食する日として知られています。 七草粥に使われる草を春の七草と言い、芹(せり)・薺(なずな)・御形(ごぎょう)・はこべら・仏座(ほとけのざ)・菘(すずな、蕪)・須々代(すずしろ、大根)のことで、七種とも書きます。 また、七種の野草を摘む行事を「若菜摘み」と言い多くの歌によまれたようです。 7日が人日となったのは、古来中国ではその年の占いを年の初めに行っており、1日は鶏を、2日は狗(いぬ)を、3日は羊を、4日は猪(豚)を、5日は牛を、6日は馬を、7日は人を、8日は穀を占っており、上述のとおり7日に人を占った所から「人日」として1月の節句になったといわれています。 いけばなとしての1月の節句はあまり難しいものではなく、梅、柳または椿をいけ、根元にナズナか若菜の葉をあしらいます。なお、元旦の花は1月の花で紹介しました、七五三の伝「若松」をいけます。 次回は3月の節句についてお話したいと思います。

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前回は3月の節句のお話しをしましたが、五節句のうち2番目に来るのが5月の「端午(たんご)の節句」です。この節句は、菖蒲の節句・重五(ちょうご)・五月節とも言われています。 旧暦では午(ご)の月は5月にあたり、この午の月の最初の午の日を節句として祝っていたものが、「端」は物のはし、つまり「始まり」という意味で、元々「端午」は月の始めの午の日のことでした。後に「午」は「五」に通じることから毎月5日

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