• 未生流東重甫

「華道玄解」荒木白鳳著  閲覧 2020年6月のコラム

「華道玄解」荒木白鳳著  閲覧 2020年6月のコラム 

6月をイメージすると雨、紫陽花と梅雨に似合う光景を思い浮かべます。実は6月は秋に紅葉する楓や多くの木々がしっかり緑濃くなる季節で、「山笑う」時節も過ぎ、夏の陽射しを感じさせてくれる時節になります。山々は大きく膨らんだようで、「山滴る」を感じさせてくれます。田植えも終わり、いよいよ夏の到来を告げる風が水田の上を流れる涼やかさが心地よく感じます。

さて、今月は「華道玄解」三才の巻研究資料の中から、「眞行草の解釋 」を読み進んでいきます。

真行草の言葉はいたる所で引用されています。食べ物等の物質に関しては「松竹梅」などがよく使われますが、陰陽と同様、良し悪しを比べる事が出来ないものには真行草が使われる事が多いように思います。例えば、未生流の伝書三才の巻には「真行草花台薄板の心得」では基本となる季節と真行草の関係などが、そして体用相応の巻「真行草花台用い方同花挿方の心得」では花の姿形やその意味まで、草木養いの巻「真行草養の伝」他、妙空紫雲の巻「御床真行草飾附ノ傳」他、規矩の巻「薄板真行草三通寸法」他、挿花百錬等にも説明の中に種々遣われている文面があります。また、真行草とは、何をもって分けられているのか、またその考え方はどの様であるかを知る上において記された書物は多くあります。この数多くの書物の中の1つであり、意味合いの深さを感じさせてくれるのが此の「華道玄解」ではないかと思います。

それでは以下、真行草の解釋の本文を抜粋します。

<眞>

挿花真行草の事は、中傳の巻に大略記すと雖も、今茲に草木の真行草と、人倫の真行草との比例を解かん「草木の眞とは都て生の儘にして少しも人巧を加へざる物を指て云う、譬ば屈曲なく、直ぐに伸びる物、または枝垂れたる物、または地に布きて生ふるもの、また他の草木に纏りて生じずる、是等の草木を伐り手折りて、其儘花瓶に挿せば、草木自然の儘なるが故に、是れ眞の花なり、然るに此草木は、天地の恵を受けて、生ひ出るものなれば、陰陽の両気は自然に備はるも、未だ人巧を加へざるが故、禮儀備はらず、禮儀無きが故に、三才の徳を具備せず、凡宇宙間の万賓、皆三才の徳備はらざるはなし、此三才缺けたるものは眞の賓とは稱し難し、故に本流華道にては草木自然の儘なるを、眞の花と稱せず、本流眞の花形と云ふは、天地自然の定理を素として、定めたる法に依て、作る法型を備へたるを、眞の花として扱う、花型圖の如し。

此花形は、曲少き故に、初心の人には意味通じ難し、又諸人の愛慕の念も薄し、例せば人類の中にても、聖人、君子、都而大偉人等は、皆虚勢をなさず、無用の言語は發せず、小亊に意を留ず、然れども一度動せば、一言一動直ちに教の道にかない、恰も神佛の如くなり。眞の花また斯の如く、曲少き爲諸人の愛慕の念薄し、然れ共此花型の裸に籠る眞理の尊き事、實に神佛の尊像にも劣らず。故に此花を挿さんと欲せば、先づ心を花とする其心得肝要也。眞の花は神佛へ供献の節か、高貴の饗應、又は諸大禮の外挿す事無用、普通宴會などには挿すべからず。眞の花を乱用なす時は自ら徳を損する事ありて、彼の佛者の破壊にも等しきものなり。

<行

行とは、業の意なり、要用の意なり、行の花型は草木己個の性質と、天地自然の道理とを、當分に合わしたる者なり、故に其姿は、文に流れず、質に偏らず中道を執る者なり。花型圖の如し。

此花型は、草木自然の枝ぶりを見立置き、是に少し人工を加へて 器の中央に、行儀正しく、挿故に初心の人にも、稍解し易し、又社會にも廣く流用す、此故に流祖も盛なるを行とすと有り、此用と云うは、挿花の体用留のようにあらず社會の流用の意なり、宇宙の大用の事なり、されば人倫の道にも、質には愛慕の念薄し、文には、人迷ひ易き者也。この中道を守るを行の本意とす。而て此花は普通の客席禮節、または教花等に用うべき者也。


右の圖の如く、花形に一定の法則なきが故に、此花を神佛等へ献じ、または禮節客席、また普通教花等には用ふる事なし、多くは會席獨楽等に挿し、自己悟道の師となすべし、此花形は自然の曲多くして、風雅の姿多き故に、初心の人等、是れを好む事多しと雖も、花挿むこと無用、斯道を大抵きわめたる人には益ありと雖も、初心の人は此花に依て道を誤る事もあり、此の花型變化限りなくして、一定の法則なし、法則なき故に道を誤まる、道に法なきは、國に人あって君臣の差別なき孤島の人の如し、人類の中にも變事を好む人は小人に多し、この變亊に依て小人其身を破る事多し、元来人道も大觀すれば。君臣の別もなき孤島に住む人にも、陰陽の理は自に備はり、夫婦親子區別はあらむ、此別あらば必ず喜怒愛(哀)楽の情はあらむ、此情あらば道を教へて理の通ぜざる事なし、法の如何に依るのみ。挿花の道かくの如し、一定の法則なき花型にも、一枝一葉一花の中にも陰陽の理は備はりあれば、此花を以て人倫指導の具と爲すべき事あへて難きにあらざれども、唯一般の常人に示すに不利なるのみ、人倫の道にも性質柔和なる人に道を説くには、正道を以って示さば直ちに通ずと雖も、性質驕慢愚痴なる人には正道を説くとも、容易に精神に染みがたく反って雜多の講談綺語に依って種々因果の理を説き示さば、早く理解す。善人を教へるに善意を引用して教ふるに利ありと雖も、若し悪人を善道に導かんと欲せば、却って悪例を引きて善事を説く時は早く理解する事あり、挿花の草の花型また斯の如し。普通の教法には用ひ難しと雖も、或時には眞行の花形以上に効を爲す事あり、然れども此花は禮節または高貴の饗花と爲す事無用たるべし。能々心得べき事なり、此眞行草の區別は挿花のみの心得に止まらず、社交上の要事たる事能く勘考あるべし。


糸柳三景挿方>

長閑の景色挿方

此挿け方は糸柳の中垂れを圖の如く古木に應合ひて挿す是は春の日靜なる景色を寫す物なれば、枝先に勢附くる事あしく應合ひには椿、水仙の類よし、又大垂柳を二重切り三重切りの上口の横姿に挿し、下口へ他の花挿してよし。

風景の挿方

此柳は小枝垂を以て置花器に挿す体の枝を吹上と云い

用の枝を吹颪の枝といふ、花型圖の如し。

雪中の景色

是は風景と同じく小枝垂れの枝を以って挿す、枝のためかたに傳あり應合無用、右三種の柳は挿方むつかしきものなれば、實物を以て示さざれば解し難き故師に付き 能く究べき者なり、右三景圖の如し。


「眞行草の解釋」では特に真行草それぞれの意味を細やかに説明がされています。真では、「眞の花を乱用する時は、自ら徳を損することあり」と説明されています。花を教える為の物では無く、その精神を学びとるものとして考えます。行では、「文に流れず、質に偏らず中道を執る」とあります。本質とそれに付随する意味合いをしっかり鑑みることが望まれます。文質は伝書体用相応の巻の序説にある「性情」の性と情の意味に等しく、お互いの作用が相手を敬い向上させると云う意味が有ります。教花として適した花姿です。草では、質を重んじあまり手を加えず花瓶にうつす。所謂花の良し悪しを云うのでは無く、花の持ち味を生かす花です。剣道でいう「守破離」ではありませんが、挿花においては基本を学び、技術と感性を磨きその結果ではないかと思います。到達するには、人それぞれで違いはしますが時間と努力が必要です。

伝書三才の巻の研究資料とされている中で、続いて「伝書体用相応の巻」の柳の挿方の処から糸柳景色挿けとして三景の挿方に添え書きと絵があります。時季の物でもあり、特に古木等はなかなか手にする機会はありませんが、花会など出瓶の機会があればぜひいけて頂きたい花姿の1つです。自然での柳の景色を眺める場も少なくなりましたが、折あらば自然の姿を観て、柳の枝の特徴を知ったうえで一枝の役割を感じて欲しく思います。

 この「華道玄解」は大正の終わりごろ完成されましたので、この令和の時代に相応とは言えませんが、今の時代では忘れ去られてしまいそうな事が記されています。単に花の形を論じるだけでなく、今一度いけばなの精神を感じ、観て頂ければと思い閲覧を始めました。

時代は旋。それぞれの周期で旋くる次の時代へと発せられた筆者である故荒木白鳳氏の思いを感じながら拝読しています。本来であればこの6月は田植えのシーズンで次への大切な界の時です。

毎月つたない解説を読んで頂いたみなさまも、近未来の為に大きな望みの種を蒔いて頂きたいです。来月は「右旋左旋の事」へと進んでいきたく思います。



最新記事

すべて表示

2020年5月  今月のコラム「華道玄解」 荒木白鳳著  閲覧4

「華道玄解」の「序説」、「三葉一花の傳」と読み進んでみると、今更ながら「いけばな」の意味を感じ取ることの大切さを思い知らされます。 伝書の活用方法として、多くの方達は何か疑問がある場合に、その疑問に関連した伝書のページを開く程度ではないでしょうか。流派の中には伝書の無い流派もあると聞いていますが、もったいないと思います。ぜひ伝書を活用して頂きたいです。 以下に述べている未生流の6種の伝書はそれぞれ

2020年4月 今月のコラム「華道玄解」 荒木白鳳著  閲覧3

先月は「華道玄解」の序説を読んでみましたが、今月から「華道玄解」の本文に入り、三才の巻研究資料「三葉一花の傳」から読み進んでいきます。 未生流伝書「三才の巻」の序説の最後に次のような記載があります。 …(前略)…兎角草木と我と同体にして私の心を去り陰陽消長の道理を楽しむ時は挿花に限らず野山水辺何れの処に至りても性気を養う事深長なり。尚、この心を篤と会得せば華道は即ち人倫の法にて更に他の事にあるべか

2020年3月のコラム「華道玄解」荒木白鳳著 閲覧2

「華道玄解」は私が生まれた頃に再版された著書で、華道未生流 荒木白鳳氏によるものです。 未生流の伝書を読んでいくと、色んな所で疑問を覚えることがあります。自分で古書を求め、他流の古書や伝書をも含め読み取ってみて、自分なりの考えを持たなくては次に進めません。この玄解を手に取った時も同じだったかと思います。そして「いけばなの心」の世界に導いてくれたのがこの玄解だったと思います。今思いおこせば、「いけば

© 2011-2020 I♥︎未生流

  • Facebook Clean