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  • 未生流東重甫

3月の花:杜若(カキツバタ)


kakitubata

今月の月極テーマコラムで「新宅移徙の花の心得」を紹介していますが、移徙(わたまし)とは、新しい住まいに移ることです。この新しい住まいとは、新築かどうかに限らず、いわゆる中古住宅へ移る場合も該当し、その際にいけられる花の中から、杜若(かきつばた」をご紹介します。

杜若は、いけばなの花材としては外せない花材の1つで、キジカクシ目アヤメ科アヤメ属カキツバタ種に分類される多年草です。菖蒲(しょうぶ)、アヤメ、かきつばたと類似した花が同じ時期に咲くことから見分けが難しいですが、アヤメは陸物、菖蒲(花菖蒲)は湿地、杜若は水物と自生する場所が異なります。ちなみに5月の節句に蓬(よもぎ)と用いられる菖蒲は、真菖蒲と呼ばれる水物で美しい花は咲かせません。前述のとおり、花で見分ける事は難しいので、自生する場所の他に葉で区別すると比較的解り易いです。硬い葉が菖蒲、柔らかそうな葉が杜若、細く捩れた葉がアヤメです。ただし、遠目では花の高さや花の大きさ、生育している所を考えみて下さい。

杜若は、黄菖蒲などと同じく日本全国の山野で水湿地・水辺などの比較的日当たりの良い処を好み、種子又は根茎で冬を過ごし、春に芽を出します。花期は5月ごろですが、山地や北国では6~7月頃です。なお、江戸期には四季咲きの園芸品種が出ており、未生流でも四季の眺めとして杜若を表現している絵もあります。

季節や寒暖の変化で花が多く見られる時も少ない時もありますが、元来強い植物で時期は違えても必ず花を咲かせてくれます。花は、花茎の先端に2~3輪ずつ咲きます。色も白、青、赤紫、青紫、絞り等があり、花弁の形も楕円形3枚が普通ですが、時に先端の尖ったものや⑥枚程の花弁を持つものもあります。春は花が葉より低く、夏を過ぎますと葉より高く咲き、花が咲いた後に、5cmくらいの楕円形の実が2~3個付けます。この実は、秋に熟してオレンジ色になり、最後にこの実は弾けます。葉は、1株7枚程で中から新しい葉を次々と高く伸ばします。葉の幅は、5 cm程あるものもありますが、2 cmか3cm程度のものをいけばなでは使います。葉は2~3年経た株でないと幅が広く、使い勝手はよくありません。葉の裏表は解り難いものですが、やはり間違うと添い難くいけ難いものになります。

杜若の和名は歌にも詠まれていますように「書き付け花」に由来するもので加吉都幡多、垣津幡等の漢字が当てられています。一般化した漢字では、杜若・燕子花があります。また、杜若は、万葉集にも詠まれている花で、日本古来の美の象徴のような存在です。加えて、色についても五行(木・火・土・金・水)の五色 (青・赤・黄・白・黒)がありますが、紫雲の紫は特別位の高い色とされました。

京都をはじめ、杜若の名所は全国に沢山ありますが、あまり自然の中での杜若を美しく思えないのは何故でしょうか。それは杜若があまりにも気位の高い植物だからかもしれません。京都の宝ヶ池(通称)には、深泥池と云う水生植物の宝庫のような池が有りましたがそこに原種に近い杜若や白花の杜若が自生していました。残念ながらいつの間にか住宅に囲まれ面影が残るばかりになりました。なお、京都上賀茂神社の傍の太田神社の池の杜若は、今なおシーズンを迎えると新聞紙上に登場しますし、人も多く賑わいますが、私は美しさを見るのではなく、そこに咲く杜若を感じたいと思います。

<いけばなと杜若>

いけばなで表現できる杜若を考えると、自由な発想のもとに展開される絵ほど表現の範囲は広くはありませんが、自然観だけは間違いなく表現されます。自然観とは、杜若がどのように育ちどのように生きているのかを場所を含め感じることであり、その感じた自然観をより美しく、より心和むものにするかが「いけばな」に求められるものです。そしてこれが杜若の景色挿けがとなります。なお、伊勢物語では、在原業平が杜若の花が面白く咲いているのを見て、「かきつばた」という五文字を句のはじめにおいて、旅のこころを詠もうとして、

から衣(唐衣) きつつなれにし つま(妻)しあれば はるばる来ぬる たび(旅)をしぞ思ふ

(着慣れた唐衣のように親しんだ妻を都に置いてきたので、この美しい花を見るとそれが思い出され、はるばる来た旅路の遠さをしみじみと感じる)

と詠っています。この歌は、折句によって「かきつばた」の五文字を隠し題としてすえています。杜若を挿ける時、何故かしら思い出される歌であり一文ではあります。この伊勢物語の文中に出てくるのが杜若の八ッ橋の景色であり、杜若の咲く流れのない水辺に橋がいくつも架かっている情景を想像させられます。かの有名な尾形光琳のハ橋図も、杜若がこの幾つもの橋のおかげで他には見られない情緒豊かな光景を見せてくれる、そんな所に絵模様として魅力を感じたのでしょう。

いけばなにおいても景色として、この格好の景色を見逃すわけにはいきません。

未生流伝書「体用相応の巻」には、燕子花三州八ッ橋(三州三河国碧海群知立町逢妻川の南にあったとされる現在の無量寿寺)の景色を移し挿け方の心得として、細やかに挿け方が説明されています。景色の作り方は、

「適当な大きさの広口の真ん中に大川を作りその左右に蜘蛛手の如く四川づつありて即ち八川なり、その八川に橋掛かる故に八ッ橋と唱う。」

とあり、黒白の砂利で景色を作ります。黒は陰で水を表し、白は陽で陸を表します。橋は感じ見るものとして形作ることはしません。季節に応じて、葉の強さや葉の長さなどを吟味し、景色を移しながらいけます。

以上のような「八ッ橋」をいけるには多くの基本知識が必要です。前述のとおり、砂利の黒白の意味や川の流れの速さと杜若の関係はもちろんのこと、器と花の大きさの関係なども含めて杜若をいけることが大切です。

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