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  • 未生流東重甫

12月の節気:大雪と冬至


本当に早いもので、1月から24節気を紹介してから今月で全て網羅することになります。

節気は中国の殷代に使われていた太陰太陽暦を基にしたものであり、これは太陰歴に24の節目を注記することで太陰太陽暦へ行こうし、気候の推移を太陽の推移で示すことが可能になりました。毎年同じ季節に同じ節気が暦面に記載されるようになり、農作業等が大変便利になりました。これが日本の風土の中にも根付き、24節気は歳時記の季節の春、夏、秋、冬といった季節を決める基準になっていきました。

<大雪(たいせつ)>

大雪は、24節気の21番目にあたり、旧暦11月子の月の正節で、今年は12月7日から冬至の前日12月21日までの15日間を云います。定気法では太陽黄経が255度の点を通過するときです。

もう山の峰は積雪に覆われているので大雪といます。山岳だけではなく、平野も北風が吹き荒んで、いよいよ冬将軍の到来で降雪があり、全国的に冬一色になる季節で、風花(かざはな;晴天の青空の中をはらはらと舞い降る雪)の舞い、鰤やはたはたの漁が盛んになり、熊が冬眠に入り、南天の実が赤く色づく時節となります。

また、時として日本海側では大雪に見舞われることもあります。朝夕には池や川に氷を見るようになり、大地の霜柱を踏むのもこの頃からです。暦便覧では、「雪いよいよ降り重なる折からなれば也」と説明しています。

 大雪の本朝72候の初候として、閉塞成冬(そら さむく ふゆとなる;天地の気が塞がって真冬となる)、次候として、熊蟄穴(くま あなに こもる;熊が冬眠の為に自分の穴に籠る)、末候として、鱖魚群(さけのうお むらがる;鮭が群がり川をさかのぼっていく)とあります。

<冬至(とうじ)>

冬至は、24節気の22番目にあたり、旧暦11月子の月の中気で、今年は12月22日から24節気小寒の前日来年1月5日までの15日間です。定気法では、太陽黄経が270度を通過するときであり、この日は太陽が赤道以南の南半球の最も遠い点を通過するため、北半球では太陽の高さが一年中で最も低くなります。つまり、昼が一年中で一番短く夜が一番長くなる極点となります。

なお、冬至線は南回帰線ともいい、南緯23度27分を走る線を云います。太陽は冬至の日にその線の真上を通過し、以後再び北上します。暦便覧では「日南の限りを行て、日の短きの至りなれば也」と説明しています。

西洋占星術では、冬至日を磨羯宮(やぎ座)の始まりとしています。

 冬至は、一年で最も日が短く、この日を境に昼の時間が延びていくことから暦の計算の起算点として最も重視されていました。また、寒さはこの頃から厳しくなります(小寒・大寒と続くところからお分かりになるかと思います)。

なお、中国の太陰暦でも冬至は暦の起点とされ、厳粛な儀式を行っていました。この日を祝う風習があり、特にその日が旧暦11月1日に当たると「朔旦冬至」といって瑞祥とされ、宮中などで祝賀が行われました。民間でも小豆粥やかぼちゃを食べ、冷酒を飲み、ゆず湯に入る風習があります。そして冬至の事を一陽来復(いちようらいふく)と言うそうです。

一陽来復とは、中国の易経に出てくる言葉で、いけばなの世界でもよく聞く言葉です。循環する季節の寒暖や一日の昼夜と同じように、循環する陰陽の中で陰の極みの時点をいいます。陽が極って陰の兆しが有る様に、陰が極って陽の兆しがある。冬至が日の最も短い日で、これから徐々に日が長くなる芽出度い日と考えられました。

冬至の本朝72候の初候として、乃東生(ないとう*しょうず;(草木いずれも枯れている中)夏枯草だけが緑の芽を出し始める)、次候として、麋角解(びかく げす;大鹿が角を落とす)、末候に、雪下出麦(ゆき わたりて むぎのびる;一面、雪に覆われていても、その下では麦が芽を出し始める)があります。

ちなみにご存知の通り、12月(師走)には多くの行事があります。8日の針供養、13日の事始め(正月事始めともいいます)と煤払い(すすはらい)、15日の下元(かげん)、31日の大晦日と大祓い等は一般的なものです。

ところで師走の由来ですが、12月はお坊さんがお経をあげるために奔走、馳せる事から「師が馳せる」が「師走」になったといわれています。

8日の針供養は、主に関西で行われている日で、関東や東北地方では2月8日に行われているところもあります。かつて12月8日を事納め、2月8日を事始めとよび、事納めに農耕を終え事始めの農耕を始める日とされていました。

13日の事始めは、古におきましては旧暦の12月13日、現在では新暦の12月13日に行われます。この日に正月の門松やお雑煮を炊くための薪を採りに行く習慣がありました。江戸中期まで行われていた宣明暦では12月13日が28宿の「鬼」に必ずなっていました。鬼は、婚礼以外は全て吉とされ、正月の年神さまを迎えるのに良い日としてこの日が選ばれました。

いけばなでは、「梅に歯朶(しだ)を応合いて神に奉る」としています。歯朶は、冬至以降に新芽を生じるもので、木の葉を若葉と唱え正月の注連縄の飾り付けや鏡餅の上にも飾られています。

京都では、芸子や舞妓が1年の感謝をこめて贔屓筋や踊りの家元に「今年もよろしゅうお願い申します」とあいさつに廻ります。家元では、玉椿の掛け軸をかけ、挨拶に持ち寄られた鏡餅を飾ります。その折舞妓には舞の扇子が渡されます。その日の先斗町には舞妓さんの写真を撮ろうと多くの写真家が集まっていますが、間違っても声をかけて一緒に写真を撮ろうとは思わないでください。

15日は三朔と同様、始中終の三元として格別大切に神仏を祀ります。中国では道教の三官信仰から、1月上元に天官を祀り、7月中元には地官を祀り、今は12月ですが10月下元には水火を司る水官を祀ります。いけばなでは「楪に万年青・藪柑子などを応合いて神に奉る。`陰極り陽を含みつつあるとき(一陽来復)で春神を祀る心にて祀る`とあります。

31日大晦日は、正月を迎える準備に余念がなく、歳徳神を迎える為に門松を飾ったり注連縄(しめなわ)を飾ったりします。夜も更けて12時を過ぎ新年を迎えると除夜の鐘が響き、京都八坂神社では朮参り(おけらまいり)が始まります。

12月の別名には、極月(ごくげつ)、弟月(おとづき)、限月(かぎりのつき)、建丑月(かんちゅうげつ)、春待月(はるまちつき)、氷月(ひょうげつ)、臘月(ろうげつ)等があります。

季語も多く、植物では、冬木立、枯柳、枯芙蓉、枯蔦、枯葎、枯蓮、枇杷の花、歯朶刈等々多くあります。時候の挨拶には、師走に候、初冬の候、寒冷の候、霜寒の候、歳晩の候、季冬の候、激寒の候、荒涼たる冬となり、寒気いよいよつのり、年内余白なく、等があります。

心せわし年の暮れを迎え、何かと繁忙の事と思いますが、子供の頃を思い出しますと楽しいことばかりがある様な気がしました。そんな年の瀬をもう迎えられないのでしょうか。

私事ですが、暮れには近所の8軒ほどが集まってお餅つきをしています。最後の臼で、きな粉や餡、大根おろし、納豆餅を頂きます。疲れますが楽しい1年の締めくくりと思い今年も頑張ります。

*:夏枯草の旧名

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