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  • 未生流東重甫

祇園祭と花


祇園祭は、京都八坂神社(通称:祇園さん)で行われる祭礼で、869年(貞観11年)に始まり、970年から天災や戦争などでの中止を除き、ほぼ毎年行われています。元々、平安朝の貞観11年に京の都をはじめ日本各地に疫病が流行した時、厄除け・無病息災を祈って始まった祭りで、7月1日から31日までの1か月間というの長きに渡って執り行われます。 祭の期間中、色んな行事が有り、我々が祇園祭を感じるのは「宵山」「山鉾巡行」といったいわゆる祭りのハイライトですが、その夜の神幸祭(神興渡御17日)や、諺にも有ります「後の祭り(還幸祭24日)」が本来の祭と言われています。 祇園祭は、日本三大祭・京都三大祭・日本三大曳山祭・日本三大山車祭などに数えられ、重要無形民俗文化財・重要有形民俗文化財に指定されている数少ない祭りです。 また、老舗や旧家の家宝である屏風などを披露する所から「屏風祭り」とも言われており、その傍に生花で檜扇が飾られている事が多いことから、京都では、檜扇は祇園祭の花といっても過言ではありません。 元来、平安時代初期に京都で作られ、主に宮中の男性の持ち物であった檜扇(桧の木の薄板をつなぎ合わせて作った扇)と葉の並び方が似ている所からヒオウギと名付けられました。 アヤメ科ヒオウギ族で別名キャンディリリー・レオパルドフラワーといい、祇園祭の頃は黄色の花が咲きますが、咲き終わると後述の黒い実(射干玉(ぬばたま)・烏羽玉)がつきます。この「ぬばたま」は、「黒」や「夜」、「髪」、「宵」、「夕」など「黒」をイメージさせる言葉を導く枕詞でもあります*。 扇と祭の結びつきは古く、意味深いものですが、祇園祭が元々魔除け・厄除け・病除けを祈願しての祭りであることや、ヒオウギの種子は「黒い実=魔よけ」ということで、邪気除けとして力が有ると信じられていたこともあり、上述のとおり家宝の傍にいけてあったようです。 余談ですが、この烏羽玉の真っ黒な美しい実にヒントを得て、黒餡を直径3cm程の玉にして寒天で包んだ和菓子を「うば玉」と称して売られています。 中々美味なお菓子で、私も大の好物です。邪気除けだったのですね(笑) *ぬばたまの 夜さり来れば巻向の川音たかしも 嵐かも疾き(万葉集 柿本人麻呂) (大意)夜になると、巻向川の川音が高く聞こえる。嵐が激しいのかも知れん。

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時代祭と花

時代祭は、葵祭・祇園祭と並んで京都の三大祭に挙げられていますが、その歴史は浅く、葵祭が567年、祇園祭が863年に対して、時代祭は平安建都1100年を記念して1895年に建てられた平安神宮の記念事業として、行われるようになったのが始まりです。この祭が行われる10月22日は、桓武天皇が794年に長岡京から平安京に都を移した日で、この日を大祭日としました。 この祭りの特色は、神幸祭・行在所祭・還幸

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