6月のコラムでは、三元(上元、中元、下元」を御紹介しましたが、今月もこの三元に関連したお話しになります。
三元は、陰暦の1月、7月、12月(10月)の15日でほぼ満月にあたる日ですが、朔日(ついたち、さくじつ)も神社仏閣では1月、8月、12月の三朔日は特別にお祀りしています。 朔日とは、現代的な定義では新月といっていますが、正しくは太陽と月の視黄経が等しい時で地球から太陽と月が重なり、月の反射光がほとんど確認できない日のことです。これを過ぎて初めて確認できる月が「新月」になります。なお、新月から三日月、十三夜(じゅうさんや)、十五夜、十六夜(いざよい)、立待月(たちまちづき)、居待月(いまちづき)、寝待月(ねまちづき)等々、その日の月に形や見え始める時間帯で名前を付けています。
月にまつわる言葉は多くありますが、今回紹介するのは「朔」で陰暦の1日のことです。先述のとおり、朔日は1月元旦、8月八朔(はっさく)、12月乙朔旦(おとついたち)を始中終3朔日*と称して特にお祀りしています。
八朔は、旧暦8月1日のことで、新暦では8月25日ごろから9月23日ごろまでを移動しますので、季節としては秋になります。中元同様、7月であるはずの中朔が8月にあるのは、7月は陰定まる月で仏月などと称する所から8月1日を中朔としたものです。 この頃、早稲の稲が実るので、初穂を恩人に送るなどの風習が古くからあったことから、「田の実の節句」ともいわれていました。この「たのみ」を「頼み」にかけ、日頃お世話になっている人に、その恩を感謝する意味で贈り物をするようにもなったようです。 ちなみに、天正18年8月1日は、徳川家康が公式に江戸城入場を果した日で、江戸幕府においては正月に次ぐ祝日ともなりました。 なお、乙朔旦(12月1日)は、乙子(おつご。末っ子の意味。旧暦12月、年の一番後、という意味です)の朔日として主に水難除けの儀式が行われたようです。 また、柑橘果物のハッサクは8月1日頃に食べられるようになったことからこの名が付きました。 *:1月、6月、8月とするところもあります。
<いけばなと三朔日> 1月朔日は元旦で、歳徳神を迎え1年の無病息災を祈ります。 花は正月元旦の花であり、未生流においては五節句の元旦の花でもある七五三の伝 若松をいけます。 8月朔日は八朔であり、「伝書3才の巻」には以下の説明があります。
何にても白き花を挿ける。秋の最中なれば、地球東にありて、西方の白色に向かうが故也。
五行の木火土金水では、木は春、東、青を、火は夏、南、赤を、土は土用、天・中央、黄を、金は秋、西、白を、水は冬、北、黒を意味します。つまり、八朔は秋であり、西であり、白であるので白い花をいけます。
作例として、男郎花(オトコエシ)の一種挿け、白萩と白菊、真蘇穂(まそほ)の薄と白小菊等があります。
12月朔日は乙朔旦で、この日の花は名残の朔として、今年1年を無事に過ごす事が出来たと感謝の意を表わし、新しい年を晴れやかに迎える心をいけます。 陽春に相応しい花として体用に梅、留に椿を配した作図があります。 花材選びにも注意が肝要です。