2020年も1月があっという間に過ぎました。毎年1月にはその年の年間コラムテーマを考えているのですが、昨年12月の講義の際に少し触れた華道の古書「玄解」をテーマに1年書いてみることにしました。
未生流には様々な古書や口伝書が存在していますが、その中の1つが「玄解」です。未生流に長く携わっている方でも耳なれない方も多いのではないかと思います。そんなある意味“貴重な”古書「玄解」を約1年かけて読み解いていこうと思います。
「いけばな」という単語のひびきから、花をいける行為は敷居が高く、素人が気軽に手を出せないようなイメージをお持ちの方も少なくないと思います。しかし実は花をいける、挿すといった行為は随分昔からありました。単純に美しいと思う花や植物を瓶に挿して時折眺めては幸せ感を味わっていたのでしょう。そして、求める事は「美しい」というやすらぎの心に過ぎなかったのではないでしょうか。しかし、この行為を文化にまで押し上げたのは日本人独特の考え方にあるようです。
いけばなを独自の文化へと発展させていく過程には時代相応の流れがあります。鎌倉時代から室町時代にかけて花卉の飾り方が意識され、室町時代から江戸時代初期にかけて華道茶道を始め「道」とつく独自の文化が現れてきます。その中で、供花から始まったものであろう華道も室町文化に床飾りにまで発展し、思想的また植物に対する考え方をも「道」の教えとして創られてきました。
江戸期には多くの流派の創流が見られ発展していきます。流派を創る際の根本的思想が中国思想の影響から「陰陽五行」であり「三才説」でした。そして、江戸後期には天動説が地動説へと代わり、伝書などにも影響を及ぼしています。陰陽五行の思想やオランダ渡来の星学を学び、独自の世界を作り上げました。華道は単にいけばなではなく、花を挿ける事で、人を育成すると云う精神に基づき多くの流派が創流されました。
そして1807年(江戸後期)頃、未生流創流の看板が大阪に掲げられました。
戦後の日本では発展的な生活向上を踏まえ、今までには手の届かなかった一般庶民の憧れでもあった「華道」「茶道」が、嫁入り前のたしなみとしてのお稽古事として誰もが習い始めました。当然、今までにない反響で、教える方が戸惑いを感じたほどでした。東京オリンピック、大阪万博の時代は世界に目を向けた若者が何故かこぞってお稽古事に足を運んだ時代でもありました。
そしてこのいけばな人口の増加に対して湧いてきたのが「誰が教えるのか?」という疑問です。急に師範が増えるわけでもありません。また、師範とは、教えるためのスタートラインに立った状態であり、華道という「道」の字を頂いている物事を教え、伝えることは考えている以上に時間も修練も要求されることです。
私が生まれた昭和24年頃には、「いけばな」「華道」について多くの事を後進に託された書物が何冊も出てきています。現在では入手困難な書物もいくつかありますが、「玄解」荒木白鳳著もその1つです。
玄解は、「いけばな道」の道標となるべき一冊だと考えています。今年はこの玄解から何か人倫の道を説くものがみなさんと読み進めたいと思います。
なお、「玄解」の序説には次の文言があります。
夫挿花之道は天地自然の理に随順して万物の和合を圖る事を以って本意とす。而て挿花の法に因て万物生花の理を究め以て人倫の要路とす。即斯の道を華道と謂は、華は万物美精の発露を表し、道は則是宇宙の大道也。(以下略)
いかにも難しい文面ですが、二度、三度と読むうちに何となく意味がわかってくるのはやはり日本人の精神に通じるところがあるからではないでしょうか。
「日本人の文化といけばな」を、この玄解を読み解きながらいけばな文化を少しでも感じられればと思います。
3月は序説の原文を紹介して、次への指針としたく思います。
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