2018年4月のコラム <陰陽五行 その1>
陰陽五行説の中で、皆様方が一番耳にする干支(えと)ではないでしょうか。
実は、干支の中にも陰と陽があります。そもそも、干支とは十干十二支のことで、十干とは甲(こう)、乙(おつ)、丙(へい)、丁(てい)、戊)(ぼ)、己(き)、庚(こう)、辛(しん)、壬(じん)、癸(き)をいいます。この十干を五行の木火土金水(もっかどごんすい)に当て、木は甲(きのえ)、乙(きのと)、火は丙(ひのえ)、丁(ひのと)、土は戊(つちのえ)、己(つちのと)、金は庚(かのえ)辛(かんと)、水は壬(みずのえ)癸(みずのと)となります。「きのえ」や「ひのえ」等の様に、語尾に「え」がつく方を陽、「きのと」や「きのと」等の様に語尾に「と」がつく方を陰と考えます。この十干と十二支との組み合わせが干支です。
皆さんが干支としてよく口にする子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥は十二支であり、干支ではありません。干支とは、甲子、乙丑、丙寅、丁卯…と続き、最後が癸亥で、60種で一巡です。60歳を還暦といいますが、これはこの元の干支に戻ったことを意味しています。ちなみに甲子園が出来たのは甲子の年(1924年)で、今年が戊戌の年(2018年)ですので94年前に創られたことになります。
<陰陽>
陰陽五行説はもともと陰陽説と五行説とは別に考えられた思想ですが、古代中国では占いは大切な行事であることから武運や収穫なども占っていました。戦いの前の占いは特に大切で、吉と出るまで戦場に向かわなかったようです。
もちろん、年の初めもまずは占いからです。一日は鶏、二日は狗(いぬ)、三日は猪、四日は羊、五日は牛、六日は午(うま)、七日は人、八日は穀物などが占われた。別説にその日はその動物を殺さない様にしたともありますが。七日目の人日は今も五節句の1つとして行事が行われています(五節句コラム参照)。この占いをより細やかなものにするために五行説と融合されたのが前漢の時代(紀元前)です。
そもそも陰陽説とは、古代中国の思想に端を発し、森羅万象、宇宙のありとあらゆる物を様々な観点から陰と陽の2つに分類されたものです。陰と陽の根源は天と地であり、天地分かれる前は混沌としていました。澄んだ美しく軽いものは上昇して陽となり、どろどろと重く濁ったものが下降して地となりました。天と地は陽と陰で表しますが、天が善で地が悪では決してありません。天があるから地があります。陽があるから陰が存在します。陽と陰とで初めて物事の存在が明らかになるのです。
未生流伝書三才の巻の注釈には次の記載があります。
陰陽とは易の思想からでて、一切のものは陰陽に配合せられることを云う
この易の思想、つまり陰陽の物事のとらえ方にはいくつかの考え方があり、次のようなものです。
陰陽互根
陰があれば陽があり、陽があれば陰があるように、互いが存在することで成り立つこと。
陰陽消長
拮抗律。陰陽の量的な変化のこと。陰虚すれば陽実し、陽虚すれば陰実す。陰実すれば陽虚し、陽実すれば陰虚す。
陰陽制約
提携律。陰陽が釣り合いを取れるように作用するもの。陰実すれば陽実し、陽実すれば陰実す。また、陰滅すれば陽滅し、陽滅すれば陰滅す。
陰陽転化
循環律。陰陽の質的変化のこと。陰極まれば陽極まり、陽極まれば陰極まる
陰陽可分
交錯律。陰陽それぞれの中に様々な段階の陰陽が存在している。陰中の陽、陽中の陰、陰中の陰、陽中の陽とする。
以上のとおり、5 つの考え方に分類しましたが、来月のコラムではこの分類の詳細について解りやすく説明していきます。