今月は未生流伝書「三才の巻」祝事の花の心得から、代を譲る「家名続目(かめいぞくもく)」と後進に託す「入院(じゅいん)」を取り上げてみたいと思います。
最近の世間を騒がせているニュースにはうんざりすることも多いですが、それでも片田舎の田畑に生き甲斐を見つけたような表情で耕す人の姿を見ると気持ちが和らぎます。
基本、私たちは汗をかいて働く姿や好きで夢中になって追い求める姿にあこがれを感じているのではないでしょうか。人生で何かをやり遂げる事は難しいですが、挑戦し続けることは可能です。この気持ちが萎えた時の寂しさは体験するまで真の意味で理解できない上、迎える時期は人それぞれです。
次世代にしっかりと譲る事が出来るものもあれば、自分との戦いの中で生み出したものもあります。特に後者はそれなりに納め、そして自分の今までの姿を次世代に残していく。これが家名続目(かめいぞくもく)であり、入院(じゅいん)です。
家名続目とは、次の世代が成長し栄ゆく姿が、代々受け継がれていく相続というものを表している祝事であり、花としては楪(ゆずりは)に梅を留めに応合った図があります。楪は常盤木で、新芽が成長してくると古い葉が枯れ落ちる性質のもので、その性質が楪と名の由来となっています。
次世代の成長を見て安心して世代交代をする。現代の相続とは資産を主に損得勘定が先に立った味気のない事が多いようですが、職人技や伝統を受け継ぐ相続は、次世代の成長があって初めて成せる業であり、育てる力を出し切って後に繋ぎます。次世代の繁栄を祝って芽出度い花を生けます。
入院(じゅいん)とは、「僧侶が寺に入って住職になる事で、転じて一般の人の隠居の意に用いた。」と伝書に説明があり、相続を終え、やっと自分の時間が出来て自分を見直す事の出来る時です。いわゆる第2の人生を生きていくうえにおいてもめでたい節目の日でもあります。
“院”に入るとは、家督を譲り、隠居する事をいいますが、仏を守り僧や尼の様になって生涯を送ることを意味します。ちなみに未生流では「斎」が遣われていますが、「斎」とは部屋の意味であり、一人籠って学ぶと考えます。入院の花として派手にならず、めでたい花を挿けたいものですが、再び花開くことも流れに反する気がしますので、万年青や楪をいけてお祝いします。
相続と入院は同時に行われるものではありますが、それぞれ祝う主人公も必然的に変わります。それぞれの立場で達成感であり意欲であり夢であるのかもしれません。
追いかけていく夢は光がさして美しいものですね。