今年は未生流伝書「三才の巻」から抜粋してお話をしていますが、今月は今ではあまりいける事もありませんが、時節柄も考慮して追善の花を選んでみました。
現代のいけばなでは、「どんな形の花をいけるか?」「どのように綺麗な花をいけるか?」「何を感じて流派の花の形をいけるか?」と形を求める事に専念しているようです。これはどの流派においてもその様に思います。
花の形には、そこに至る多くの意味があり、その意味を理解してその植物らしさを表現する、そんないけばなの第一義を忘れているような気がします。
自戒を込めて、ですが、いける花の意味を感じながら、また、その花材を活かすような花の姿にしたいものです。
追善の花は、たのしむ花とは言えませんが、心にある思いを大切にいけます。
追善とは、「追福とも云い死者の冥福を祈って善根(徳)を修める事、特に死者の年忌等に行う仏事供養をいとなむ事」と国語大辞典に記されています。いわゆる追福修善のことで、故人の為に生きている物が善い行いを修することで成仏させてあげることです。
仏教では、死後7日目ごとに49日までの忌日法要と、1周忌、13回忌から50周忌ぐらいまで(地方によっては100回忌まで)行われる年忌法要が追善供養です。7日目ごとに行われる理由は定かではありませんが「陰陽説」から考えられているのかもしれません。午前と午後の間、それが7つ目で、子牛寅卯辰巳午が午前であり陽である7つ、午未申酉戌亥子が午後であり、陰である7つ、この様に7つ目で陰陽が移り変わります。もちろん、いけばなでは移り変わる7つ目を大切に捉えており、偶然の“7”では無いように思います。
ともあれ、本人には解らない所で多くの生き物に色々迷惑を掛けてしまった故人が無事天国に行きつける様にお墓参りをし、一日一善で良いから善行に努めましょう。当然、自分自身も気付くことなく悪行を成してしまっている訳ですから、その“反省”と“赦し”を求めて。
≪追善といけばな≫
追善の花は体に枯れ木を使い、用・留には勢いのよい枝葉を配します。
この花の場合、一家の主人を体としてその冥福を祈るもので、先だった主人を枯れ木で表し、受け継ぐ子孫の栄える姿として用・留は勢いよく挿けるものです。
伝書四方の薫に作例があり、こちらは垂柳桧葉(すいりゅうひば。糸杉と同種)を体・用に使っています。体先は強ささえ感じるような枯れ木、用をはじめ他の枝葉はかなり勢いを感じる様にいけ、応合いとして体に留を野紺菊でいけてあります。
これは、体先に故人を思い、他の枝葉に子孫の繁栄をと考えいけられたものです。私説として、この様な場合は体や体の後添えにあまり勢いを感じさせると「未練」を感じさせる気が致します。
選ぶ花材として、梅、柳、糸杉、黄梅、糸桜、金雀枝、連翹(れんぎょう)、蓍萩(めどはぎ)、この他も常緑物も見計らって用います。赤は禁ず、といえど応合いにては苦しからず、です。故人が好んでいた花を挿けるのも良いのではないでしょうか。
実物は禁ずとされる説