24節気は、立春から始まり「節」と「中」に分けられます。1番目の立春が「節」、2番目の雨水が「中」と繰り返すので、奇数番目が節、偶数番目が中になります。つまり、立春が旧暦正月寅の月の正節で、雨水が旧暦正月寅の月の中気になります。 今回お話します芒種と夏至のうち、芒種は旧暦5月午の月の正節で今年の新暦では6月6日にあたり、夏至は、旧暦5月午の中気で今年は6月21日になります。また、6月の雑節として入梅(にゅうばい)があり、これは芒種から6日目、太陽が黄経80度を通る日とされています。ちなみに梅雨とは、「梅の実が熟す頃に降り続く雨」を意味しており、この頃の花として紫陽花(あじさい;花が様々な色になる事から「七変化」や「八仙花」などとも称されています)があるのはよくご存知のことだと思います。万葉集にも出てくる花で、原種の生育地は北関東・伊豆半島等の様です。 また、梔子(くちなし)もこの頃の花の1つで、甘い香りの白い花を咲かせ。花が咲いた後オレンジ色の実になります。その実は黄色の着色料として和菓子やたくあんのの着色にも遣われています。花言葉には幸せを呼ぶ、胸に秘めた愛などがあります。 橘(たちばな)は、かんきつ類の1つで、実は酸味が強いためジャムの原料としてつかわれています。橘紋は日本十六代家紋に挙げられ、文化勲章には橘がデザインされています。常緑樹は永遠を表すとして松と共に愛され、紫宸殿の右近の橘は特に有名です。 ほかにも姫百合や立葵など、この季節の草花は色々あります。 梅雨の合間の五月晴れを愉しんで下さい。 <芒種(ぼうしゅ)> 芒種は、24節気の9番目にあたり、旧暦5月午の月の正節で今年は新暦の6月6日(小満から数えて15日目頃)から6月20日までの15日間になります。定気法では、太陽が黄経75度の点を通過するときをいいます。 芒種とは、稲や麦など芒(のぎ;イネ科の植物の花についている針の様な突起。禾。)のある植物の種をまくころ、いわゆる稲を植え付ける時期を意味しています。梅雨入りの前で、昔の田植えの開始期にあたり、雨が間断なく降り続くことから農家は田植えの準備などで多忙を極めます。また、かまきりや蛍が現れ始め、梅の実が黄ばみ始める時期でもあります。 芒種の72候の初候として、蟷螂生(とうろう しょうず;カマキリが生まれ出る)、次節として腐草為蛍(ふそう ほたるとなる;腐った草が蒸れ、蛍になる)、末候には梅子黄(うめにみ きばむ;梅の実が黄ばんで熟す)があります。 <夏至(げし)> 夏至は24節気の10番目にあたり、旧暦午の月の中気で今年は新暦の6月21日から小暑までの16日間になります。二至二分・八節の1つで、定気方では太陽が黄経90度の点を通過するときをいいます。太陽が赤道から最も北に離れるので、この日北半球では昼が最も長くなり反対の夜が最も短くなる日で、昼夜の差が5時間ほどにもなります。なお、夏至線は北回帰線ともいい、北緯23度27分を走る線のことです。夏至の日(影が最も短くなる日)にこの線の真上を通過し、その後は再び南下していきます。 西洋占星術では、夏至を巨蟹宮(かに座)の始まる日としています。 冬至にかぼちゃを食すのは有名ですが、夏至には大阪の一部で蛸を食します。また、関東では小麦で焼餅を作り神に供えます。 日本と違い、暗く長い冬が続く北欧では、特別に喜ばれる日で各国共盛大に「夏至祭」が催されます。北半球では歴史的にも夏至は収穫を迎える夏の始まりを告げる日とされ、植物や人類にとっても繁殖に結びつけて考えられたようです。 夏至の72候の初候として、乃東枯(ないとう かるる;草木いずれも繁茂する中で、夏枯草だけが枯れる)、次候に菖蒲華(しょうぶ はなさく;アヤメの花が咲き始める)、末候として半夏生(はんげ しょうず;烏柄杓(からすびしゃく、半夏)が生え始める頃で、田植えもそろそろ終わりになる)があります。 新暦6月の別名には、水無月(みなづき)、風待月(かぜまちづき)、常夏月(とこなつづき)、鳴雷月(なつかみづき)、涼暮月(すずくれづき)、水月(すいげつ)、水張月(みずはりづき)、松風月(まつかぜづき)、田無月(たなしづき)、建未月(けんびづき)、葵月(あおいづき、晩月(ばんげつ)、陽氷(ようひょう)などがあります。 季語は流石に多く、一部を紹介します。花菖蒲、あやめ、杜若、著莪、花橘、柿の花、葵、紫陽花額の花、鈴蘭、柚の花、虎尾草、昼顔、青桐、葉柳、苺、木苺、孔雀草、釣鐘草、雪ノ下、紅の花など、草木だけでも多くあります。 時候の挨拶として、入梅、梅雨、長雨、麦秋、短夜、初夏、小夏、首夏、向暑、薄暑、黄梅、霖雨(きりさめ)などの後に候又は砌(みぎり)を付けます。 書き出しは、田植えもすみ、緑も色濃く、青田を渡ってくる清々しい風が、麦熟れる初夏の候、初蟬の声を聞く季節などがあります。 ついメールやパソコンからの手紙になりがちですが、自筆で表現する手紙はやはり心を打つものです。一寸自然に目をやって言葉に変えてみる時間があっても悪くは無い事ですね。
未生流東重甫