5節句のうち、1年で最後にくるのが9月9日の重陽(ちょうよう)の節句になります。 これまで5回にわたって節句についてお話をしてきましたが、まずは節供と節句の違いについておさらいしたいと思います。 まず、陰陽思想においては、奇数は陽、偶数は陰とします。節句では、月を陰、日を陽ととらえ、この陽と陰が陽の数、つまり1、3、5、7、9の奇数で重なることを祝いの日と考えます。これに対して、節供は、月日の陽の数字の重なりにより、陰陽のバランスが崩れるとし、災いが起こるという節句と逆の考え方です。これらの双方の考えに基づいて、長きに渡り引き継がれてきたのが五節句であり、現代の五節句もそれぞれの名残があるようです。 これらの節句の中でも、陽数の極である9が重なることから重陽と呼ばれ、一番負担が大きいと考えられています。なお、上巳を重三、端午を重五と称されています。 通常、節句では、病除け・水難・技術向上を祈念しますが、これに加えて重陽の節句では長寿を祈ります。 重陽の節句の起源は古く、日本においては庶民の間で栗の節句として秋の収穫を祝う又祈る収穫祭として受け継がれてきました。この後、平安時代頃に中国の思想を反映して菊の節句ともいわれるようになります。ちなみに、天皇家の家紋は、16 弁の菊の花を模ったものですが、この歴史は鎌倉時代の後鳥羽上皇の時代ではないかと考えられています。では、何故16弁であるか、というと、16という数字が、天の員数7と地の員数9を加えたものではないかと考えられます。これはあくまでも私個人の考えですが…未生流でもなじみのある三才説が、天と地を通徹する人で天地人と考えるなら、その人の長は天皇と考えられるかもしれません。 菊は翁草(おきなぐさ)・千代見草(ちよみぐさ)・齢草(よわいぐさ)・星見草(ほしみぐさ)等の呼び名がありますが、邪気を祓い、長生きの効用を持つとされています。余談ですが、花びらや花粉にはビタミンCやEが含まれているといわれていますので長寿への効果というのも納得ですね。 現在ではあまり実施されていませんが、節句の前夜に菊の花に綿を覆いかぶせて露を染ませ、その露で顔を拭いたり体を拭ったりすると若返る(=長寿)とした着せ綿という風習があります。中国六朝時代の末期、桓景が茱萸(カワハジカミ)の実を袋に入れて山に登り(これを登高と呼びます)、菊酒を飲んでいたところ、城から火煙が上がり難を逃れたことから重陽の風習が始まったようです。日本でも飛鳥時代・天武天皇の御代に紫宸殿の御簾みすの左右に茱萸を入れた袋を掛けたり、菊酒を飲んだりして祝ったようです。 京都上賀茂神社では着せ綿やからすすもう(弓矢を手にした二人の刀祢とねが横っ飛びしながらあらわれ「カーカー」 「コーコー」 と鳥の鳴き声を真似た後の子供相撲)が行われています。 <重陽といけばな> 未生流では、置き花器(竹筒ような高さのあるもの花器です。これに対して、水盤のような背の低いものを据え物といいます)に菊五色をいけます。5色とは、五行説の五行、木・火・土・金・水に当てたもので、青・赤・黄・白・黒の5色です。 青は葉、赤は留の花、黄は用の花、白は体の花、黒は五行でいう水に属し、水をつかさどる所として、結果、5色になります。 五行では、黄色を一番高く使いますが、未生流では花の色に順位があります。白紫黄紅赤の順位で、それに従って高く体として白、次に用として黄、この次に留として赤、そして葉の青、水の黒とします。水は常より十分多く入れて水を意識します。広口(規定の大きめの水盤)に菊を幾種もいけて表現する事もあります。
未生流東重甫