2012年を振り返って 気が付けば師走に入り、2012年も残りわずかとなりました。皆さんも慌ただしい毎日を送っておられるのではないのでしょうか。 振り返えってみれば、2012年は生け花を通じて新しいことを含め、様々なことにチャレンジをした色の濃い1年でありました。 まず、4月には、東京に教室を開設して2年目にして教室が移転することになり、これをきっかけにHP(このHPです!)を新たに開設しました。開設に当たって新しい出会いもあり、これに感謝しています。 5月には、縁があって東京の乃木會舘とオーストリアのウィーン大学にて生け花の実演をさせていただきました。普段は教えることが中心な私ですが、講義形式とはいえ、大勢の前で花をさすことは刺激になったことは間違いありません。特に、ウィーン大学での実演では、海外の方が想像以上に「日本のいけばな」に興味を示していたことがいまだに印象深く残っています。 また、10月からは「格花特別研究会」と題して、未生流の格花を学ぶことにより、より一層深く造詣を深められる機会を設けました。 こういったことを通じてふと近年の自分を顧みたところ、ここ数年はいけばなと忙しく付き合ってきたような気がすることもあります。 例えば、山に登るのに途中まで車で行き、そこからヘリコブターで頂上に行ったところで何が残るでしょうか?登る醍醐味さえもありません。また、解けない数学の問題の答えを聞きたいとも思いません。それがどうしてか…は誰もがお分かりになると思います。 近年、生け花を「花をいける」「花を形作る」ことと勘違いしがちな印象を受けます。 いける過程といけ終わった後のある種の達成感、この醍醐味を求めて「いけばな」を続けている人にとって、こういった風潮は残念に思われているかもしれません。だからこそ、「いけばな」の意味を今一度自問する必要があるのではないでしょうか。 いつの頃からか「いけばな」が「いけばな業」になってしまい、自分の弟子を増やすことに腐心し、大切な部分を忘れてしまっているような……これが事実だとすれば非常に悲しいことです。 日本の美の伝統を伝承するのに形と業だけで良いのでしょうか? 理想や綺麗事では済まされないですが、少なくとも自分が求める「いけばな」を追求しながらも、先人たちの書にも必ず述べられている「いけばな」は「華道」であり「人間道」であることに思いを馳せながら2013年を迎えたいと思います。 皆様もどうぞよいお年をお迎えください。 2012年12月23日 東 重甫