毎年5月15日に行われる葵祭は、総勢約500人が平安貴族の風雅な衣装を纏い、京都御所を出発後、下鴨神社を経て上賀茂神社(賀茂別雷神社)へと向うもので、かの源氏物語※にも登場する日本を代表する祭りです。 葵祭の起源は、今から約1400年前の567年暴風雨が続いて困っていた時、「鈴を付けた馬に勅使を乗せて賀茂神社の境内に走らせよ」とのお告げがあり、当時の天皇がその通りにさせたところピタリと風雨が静まったことだといわれています(これが葵祭のスタートとなる「流鏑馬」行事です)。 これを始まりとして、五穀豊穣を祈願して葵祭は例祭となり、平安時代には国家的行事(勅祭)になりましたが、室町時代中期から祭は衰微し始め、ついに1467年の応仁の乱以後は全廃されました。この後約200年を経て江戸時代元禄元年に再興され、平安王朝の伝統は忠実に今日に受け継がれています。 葵祭は当初「賀茂祭」と称していましたが、江戸時代の再興以後「葵祭」と呼ばれ始め、行列の御所車・勅使の衣冠・牛馬に至るまで葵の葉で飾られるようになったのです。 賀茂神社の神紋(シンボル)である賀茂葵に因んだのでしょうが、宸殿の御簾まで飾るのは神社のシンボルである葵の厄除け効果をしていたと言っても過言ではないと思います。時代を考えると江戸幕府が絡んでいるような気がしないでも有りません(徳川家の御紋は「葵」ですね!)。 葵とは、一般的には立葵(タチアオイ)をさします。 立葵は、アオイ科の中国・西アジア原産の多年草で、背丈は1~3m、花は直径10cm程の大きさで、一重(八重の園芸種あり)の花を夏頃に咲かせます。 種類としては、立葵・銭葵(ゼニアオイ)・紅葉葵(モミジアオイ)・アメリカ芙蓉・黄蜀(とろろ)葵等が有ります。 花をいける場合は、立葵を使うことが多いですが、切った際に一手間かけることで花を長持ちさせることができます。方法としては、煮沸・湯上げ・アルコールやバンショウチンキ(アルコールに唐辛子成分を加えたもの)等がありますが、同時に切る時間にも注意が必要です。 ※源氏物語「葵の巻」には、見物に出かけた葵の上(光源氏の正妻)と、六条御息所(光源氏の恋人の一人)が牛車を泊める場所をめぐり、双方の従者達が争う「車争い」が描かれています。結果的には、六条御息所側が負け、彼女の牛車が破壊され、彼女の姿は衆目の知るところとなり、耐え難い屈辱を受けることになります。