先月は「華道玄解」の序説を読んでみましたが、今月から「華道玄解」の本文に入り、三才の巻研究資料「三葉一花の傳」から読み進んでいきます。
未生流伝書「三才の巻」の序説の最後に次のような記載があります。
…(前略)…兎角草木と我と同体にして私の心を去り陰陽消長の道理を楽しむ時は挿花に限らず野山水辺何れの処に至りても性気を養う事深長なり。尚、この心を篤と会得せば華道は即ち人倫の法にて更に他の事にあるべからず。
現在読み進めている華道玄解は、まさに上述のこの一文の大切さをひも解き、一冊の本にまとめられたのではないかと解釈しています。時代の流れの中で、いけばな・華道が世に出て人々に愛され発展を遂げてまいりましたが、いつの間にかその目的を見失って放浪の時代を迎えてしまった気がしています。
時代の流れだからと諦めること無く、原点を知ることも時には大切かと思います。いけばなを志した時の思いを、今一度思い浮かべてはいかがでしょうか。
未生流伝書「原一旋転」の解義の一説を引用します。
…(前略)…本巻は述べる所の言葉尠なく(すくなく)して、その含むものが深く大きいので、理解するに稍困難と思われる。今その大意を述べると、三才の理法、体用相応の理法が、さらに転じて原一に帰することを示すのであって、三才五行の花格と言い、体用の挿し方の変化と言うも、要は自然の摂理と一致し、示された形の中に永遠の姿を観ようとするものである。原一とはその初めに帰ることであって、発展して行ったものが再び初めに帰ることによって、常に根元と結びつくのである。然し乍らそれは単に初めの一とは必ずしも同じではない。一から十への続き合いが一に帰って行くのであって、初めの一とは必ずしも同じではない。…(以下略)…
いけばなで原点回帰というと、初心者と同じ稽古、とどうしても勘違いしてしまいがちです。しかし、何かを創造する時、基本に戻り、自身の原点から始める事で自分自身の求める物を創造することが出来ます。自分以上は求めず、今の自分の思いを十分表現する事で納得のいく創造へと繋がります。
これまでのコラムでも何回か述べていることではありますが、いけばなを解釈する時、形の良さを評するのではなく、形の奥に物の姿の本源を究めようとすることに意味があります。この点を念頭に置いて「華道玄解」を読んでみると、より著者の思いを感じる事が出来るのではないかと思います。
以上、前置きが長くなりましたが、本題の「三葉一花の傳」を読み進めていきましょう。未生流の伝書三才の巻「三葉一花の心得」には、以下のとおり基本的な考え方や植物の捉え方の説明がありますが、まずは、基本的な考えを知ったうえで「華道玄解」の本文に入りたいと思います。
「それ花一輪に三葉遣うは定法なり。この故は天地人三才と定まりても、人声を発せざれば天地なし、声を発すればこれ即ち四つ目なり。既に一日も夜の子の刻一陽起こり、丑の刻漸く長じ、寅の刻陽の位に定まるというとも未だ明らかならず、明らかになる処は即ち四つ目卯の刻なり、この如く天地自然の道理にて三葉定まらざれば花を生い出づる事なし。故に菊椿の類、このほか組葉物一切三葉一花と定む。尤もこの割より葉数多きはくるしからず、少きは悪し。藺物類又は芭蕉なども根本に天地人と三枚の皮ありて、四つ目の中葉地上へ成長するものなり。」
(伝書「三才の巻」三葉一花の心得より)
伝書三才の巻では、三葉一花の基本的な意味や植物との関わりを説明されており、さらに伝書「体用相応の巻」には、藺物や組葉物の考え方の説明があります。組葉物のいけ方については、特にいけばなの基本として知っておく必要がありますが、ここでは詳細は割愛します。そして華道玄解では、この三葉一花についてより細やかな説明だけでなく、華道とは何かといった奥深い所まで所謂人倫の道との関わりを強く説明がなされています。
華道玄解三葉一花の傳(でん)の本文を引用してみましょう。
三葉一花とは卓下などに挿す花の事なり。挿方は、花一輪に、葉三様にて姿を調ふ、是れは草木の出生を示すにあらず、宇宙間の陰陽消長の眞理を、一瓶の花に因て指示為す者なり。一晝夜十二時の配支遊星十二局。循環に依て、陰陽消長の理を示す者なり。夜る十二時子の刻より晝十二時午の刻迄、六刻を陽の一廻りと云ふ。晝十二時午の刻より、夜十二時子の刻迄を、陰の一廻りと云ふ。夜十一時より、一時までは子の刻の位、一時より三時迄は、丑の刻の位、三時より五時迄は、虎の刻の位、五時より七時迄は卯の刻の位、七時より九時までは、辰の刻の位、九時より十一時までは、巳の刻の位、晝の十一時より、一時迄は、午の刻の位、一時より三時までは、未の刻の位、三時より五時までは、申の刻の位、五時より七時までは、酉の刻の位、七時より九時までは、戌の刻の位、九時より十一時までは意の刻の位なり。而して各一刻毎に上刻下刻の區別あり、上下通じて、一刻となる。即ち、刻は當今の、二時間に當る、夜十二時子の中刻には、陰極まり、すでに、一陽来復すと雖も、いまだ陽の位定まらず、四刻目、即卯の上刻に至りて、陽の位充分に備わる時也、是れ一日にとりては、太陽の東天に昇る時なり一ヶ年の季候にとりては三月上旬なり、年代にとりては甲卯の歳なり、人類一代にとれば、十五歳なり、草木ならば今將に開花せんと云ふ時なり、即ち陰陽両気等分に和して、彌盛んの時にうつる時代にして、華道といふ名詞の起る所以なり、一目明示の為に陰陽消長の圖を次に記す。
我國陰陽消長之圖
外廓の数字は昼夜の時間次の十二支の文字は支星の位置を書く時間に配するの標準なり十二支の左右にある、上下の文字は、上刻下刻の印。上下通じで一時となる輪廓のの中間黒白の線は、陰陽両気運轉消長の印なり、内廓十二月の文字は、月の配支の標準なり、中間東西南北の文字は、十二支を方位に配する標準の印なり季土用の文字は両月の間に土用のある印なり此間の季候は四時候に變かなきものなり。右の圖の如く子の一陽来復より、漸々陽気ざして、四刻目卯の上に至りて陽気、陰と、等分になり、是より陽気は、次第に盛んとなり、陰気は次第に消散し、巳の下刻に極陽の位となり、陽気充満し、陰気は消滅す、午の中刻に、一陰気ざす、申の上刻に、陰気陽気と平行してそれより陰気盛んとなり、陽気は次第に消散し、亥の刻に至りて、極陰の位となり、陰気充満し、陽気を消滅す。而して子の刻に陰極りて、一陽来復す。而して大抵動植物とも陽気に働き、陰気につれて休す。當流にて、三葉一花を祝花に扱う所以は、この理に順ずが故に、草木の花を、陰陽両気にかたどり、是を以て、一つの花体を作る、是れ太陽昇天の形容をなす者なり。三葉は陰中陽の位にて、子丑寅の三気、一花は、純陽にして卯刻の気、故に万物開發の意を含む、都て万物生して、活動時代に向ふは、此時なり、斯の故に、當流にては、三葉一花の花を、祝花として取扱う、此花体は、其席を守る神と心得て可なり、太陽昇天の方は、東方卯の方なり、卯の方の護星は、即ち歳星なり、歳星は、俗に歳徳神と号する神なり、而てこの花を挿さむと欲する時は、先づ己の身体を浄め、精神を愼め、我れ今将に此の花の精と、心を一つに為し、華と我れと一体となりて此席を守るといふ心にて挿すべし、實に三葉一花は、草木の出生にあらずして、万物開發の形容なり、 尚委細は奥の巻に記す。(引用終わり)
華道玄解は、昭和初期の著書ですので読み下すこともままならない文面ではありますが、幸い漢字の意味は感じ取れるものです。また、考え方も今の時代にそぐわないかもしれませんが、見失いがちな精神を思い出させてくれるのではないでしょうか。
私自身いけばなを志して半世紀近くなりますが、この本の様にいけばなの本質に触れる事の出来る機会を与えてくれる著書にはなかなか遭遇しません。チャンスがあればと思っていたところに、毎月のコラムを口実に皆さんと読み進める事が出来ることをとてもうれしく感じています。
いけばなは形が大切で有る事は承知の上で、このようないけばなの精神を学ぶことは、実に本来のいけばなのあり方に向かい合う事が出来るのではないかと思います。
今月は、「三葉一花の傳」を読み進んできましたが、なかなか文章でうまく説明が出来ない部分もあり、理解しにくい部分もあるかと思います。ただ、二度三度繰り返し読むことで、いけばなの本来についてイメージできることもあるかと思います。そしてそのイメージはみなさんの創作活動にきっと色を添えてくれると思います。
5月は「挿花五通の區別」を読み進めたいと思います。
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