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未生流東重甫

「華道玄解」 荒木白鳳著  閲覧11

更新日:2021年2月3日

「華道玄解」 荒木白鳳著  閲覧11 2020年(令和2年)12月のコラム


 今年もあっという間に師走を迎えました。新型コロナの影響で例年よりもやり残したことが多くあるような気がします。

 いままでになく本を読む時間は増えたものの、身体はのんびりが板に着いてしまいました。


 さて、2月から始めた「華道玄解」の閲覧も、未生流伝書に基づいて初伝、中伝と進んで参りました。今回も中伝「体用相應之巻研究資料」から進めて参りたいと思います。

前回、挿花はもとより諸芸に影響ある言葉ではないかと思い、能楽師世阿弥の秘伝書「風姿花伝」「花鏡」から一文を紹介しましたが今月も引き続いて気になる一文を紹介します。



「風姿花伝」第三の九


「花は心、種は態(わざ)」“花を知ることをこの道の奥義と言い、種となる能芸の数々を鍛錬し尽くし、工夫を極めてこそ、花を獲得できる。」とする、(世阿弥が「花の段」と呼ぶ条)

“花を知ることは、この道の奥義を極める段階であろう。一大事とか秘事とかいうもの、みな花を知るという一事に帰着する。

能芸の鍛錬をし尽くし、それを生かす工夫をし抜いた後に、失せることのない「まことの花」を悟得できるであろう。この態の数々を極め尽くす心こそが、そのまま花の種であるはずだ“

どの世界においても、なかなか極めることはできなくても努力、鍛錬は誰にでもできる。

                                        (風姿花伝 謡曲名作選より)


これは自戒を込めてでもありますが、いけばなにおいても師として教授として、花の心は勿論種となる努力を惜しまないでいたいものです。


『美笑流 活花四季百瓶図』(文化十一年(1814年) 秋香斎如水著)に


「花を活るといふは 能 心をしるといふ事」…「唯心を生て花を忘れず」


とあります。

美笑流の創始は後藤美笑軒道覚、1532~1555年(室町時代)に創流?江戸後期に盛んとなりました。


當を得た言葉で、諸芸、華道諸流派においても同じではないでしょうか。


未生流でも伝書三才の巻の序説、禁忌二十八ヶ条に続いて、花矩七二箇条、花道第二の心得に、花を挿けるとは形だけにとらわれず、席も花、花台薄板も花、花器、花留め、水、鋏、草木も花、挿ける姿も花、心も花となるべきは冀う処なり” と説かれています。


『華道玄解』


「天地と草木と人類互に氣を通し相応ずる理証」

佛教秘書に曰く

世間に殺害多く行はるれば東方護星變じて彗星現れハルの草木生い出る事止まる。亦此氣、人に通じ眼より身へ入り肝臓を損し眼病多し。

世に僞り多く行はるれば中央の護星變じて彗星現れ大地痩せて土は石と化して草木生い出ず、人類に通じ口より身に入り五臓を損し口の病多し。

世に盗人多く蔓れば西方の、護星變じて、彗星現れ、秋の実のり少く人に通じて鼻より身に入り肺臓を損し鼻の病多く亦戦斷へずして世間乱る。

世に酒を好む人多ければ、南方の護星變じて、彗星現はれ、旱魃あり 草木枯れ、人に通じて舌より、身に入り心臓を損し病、疫病多く乱心の人多し。

世に邪淫多く行はるれば、北方の護星變じて、彗星現れ大水出でゝ流れ、人に通じて耳より、身に入り腎臓を損し冷病耳の病多し。

世間の五戒破れば五穀を損じ人身の五臓弱り五神棲栖を失ふ(五神とは氣、根(神魂意魂精)の五なり。故に鬼神身に入って、人の心を誑タブラカす故に日月光をうしないひ、天地の禍となるなり。

私し云く

陰陽の兩氣万物に通して、体用相應すれば世間易し体用相應せざれば世間乱る、此の体用相應は、人によって行ふものなり、故に天災地變は多く人より招くものと知るべし。

儒聖の教書も粗ぼ是の如く記す。醫書の五臓説もまた是の如し唯用法の主とする處により大同小異あるのみなり。


「幹支六十ヶ年循環の起例」

幹は五陰五陽にして十干と謂ひ。循環を運と云ふ。

支は六陰六陽にして十二支と謂ひ、循環を氣と云ふ。

幹は天位にして幹たり。支は地位にして支なり、互に循環して万物を生化す。

今循環の氣互に變化の次第を示す。

年分の氣に幹支の相生する年と、相克する年とあり是れに依て年運の事を測る。幹は順に廻り支は順逆あり、幹の氣を年の運とし、支を年の氣性とす。其支の性位を左の記す。 《図1参照》

図の如く子の位は小陰の性なり。故に氣小陰と云ふ。甲の年の運は土運なり。故に甲子の年は、性を小陰とし、運を土とす。乙丑の年は、性は大陰とし、運を金とす。順に左へ進む時は午年の性位小陰となる。又順に進み亥の年に二度目の厥陰となり、丙子の年に、小陰の位に還り。運は水運なり。次第に横に廻り戊子の年小陰になり、運は火の位也。庚子は、金の位になり、壬子は水運の位になる。横進みして、癸亥の年厥陰の性。火運の年に六十年終り六十一年目甲子年元に還りて小陰の位土運の年となる。

年月日時に、是を配し人類の性質運勢を斷するものありと雖も、人類の性質悉く天地の氣に合する事あらず故に是に依って人事を卜すは、害あって益なし。故に此に記す事を略す。唯年循環を知る便法に舉るのみ。兩氣の循環法は自然の道なり。是れを人事に應用するは、自然に反す世間に此の暦法または地支の數學を以つて、易法と混同する者あり。易法は時の數に依て、年の吉凶を卜し。庶民の救護する。聖人の爲す可き法なり。壹個人の爲めに天地自然の機を告ぐる事あらんや。華道に遊ぶ人迷信に墜せざる爲めに此法を示すのみ。

 六陰陽十二ヶ月循環の次第と二十四氣の節分を圖範を以つて記す。《図2参照》一日の三度十分八を過ぐるを一刻と云ひ、八割三分ノ一を、一時と云ひ、三時を一辰と云ひ、四辰を以つて一日とし、五日を以つて一候とし、三候を以つて一氣とす。二氣を以つて一ヶ月とし、三ヶ月を以つて一季と云。四季を以つて一年とす故に一年に二十四氣七十三候也。




図1



図2


陰陽變合の圖皆相對して六陰六陽也。

子は五陰一陽午は五陽一陰餘は順に見るべし。

六十年の起例は氣の變動を示す。

此の二十四氣の圖は、幹支の定位と、両氣消長の次第と、二十四氣循環を示すのみにして、未だ氣の變動せざる處也。故に唯十二ヶ月氣の行を知る、便法たるのみなり。

現今陽暦に依り倚而陰暦を用ひざる故に次第の暦法廢りて古への時刻を知らざる人多し。華道は陰暦に據る事多し故に便法の爲めに是を記す。



「時分古今の差違」

古への一分間は今の十五秒に當る。

昔の一時は今の二時間に當る。

古の一時は(四百八十分、今の百二十分)にして、六十分は(一刻、今の十五分)に當る。

故にハ刻を一時とす(今の一時間(六十分))は古の(半時、二百四十分)は則ち四刻なり。

右兩圖を以つて、陰陽の兩氣循環して、互に相應じ、或は体となり用となりて、万物を生じ、亦は化す事。永遠に盡滅する事なし。此の廣大無邊の徳を感得して、是の働きの意を体とし草木の美徳を用として行ふ事。華道の本分たり能く肝考ある可き也。

                                                    (終)


 昔の書物ということもあり、理解に苦しむところがありますが、著者の考えるところを少しでも触れて頂ければと思います。

 今年は一年通して「華道玄解」を読み進んできました。とはいえ、未だ『三才之巻研究資料』と『体用相應之巻研究資料』だけです。本分は『原一旋転之巻研究資料』『養の巻参考資料』『妙空紫雲の巻参考資料』『規矩の巻参考資料』ですので、来年に読む機会があれば続いて読み進めればと思います。


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